手で触れる、ということには特別な意味があるように思う。
治療行為が「手当て」という言葉であるように、古来から人は自らの手の持つ力を認識してきたのだろう。
頭が痛かったり、肩が凝ったり、目が疲れたり…そんなとき、無意識的にその患部に手を当てている自分に気づく。
やはり、「手当て」とは誰にでも備わっているヒーリング能力なのだろう。
そして、それは愛を伝える手段でもある。
手を触れたくなるものは、やはり心で触れたくなるものなのだ。
言葉よりも雄弁に、その手は語る。
赤子がところかまわず何でも触りたがるのは、彼らが曇りなき愛の世界に住んでいるからなのだろう。
朝起きてから、夜目を閉じるまで、実にたくさんのものを触れる。
その一つ一つに、そんな赤子のような愛の意識を向けてみよう。
もしかしたら、こんな表情をして喜んでくれるかもしれない。
…と、そんなことをゴロゴロなでなでしながら思いました。もふもふは最強。