先日、ハンドメイドのアクセサリーを製作・販売されている方とお話しする機会があった。
依頼されている小説で、私が悶々としていることをお話ししたのだが、いろんな角度からお話を聞かせて頂いた。
その中でも、「喜んでもらうことを、ゴールにはできない」という言葉が響いた。
アクセサリーであれ、小説であれ、「その作品の向こうにいる誰かを喜ばせたい」という想いは純粋なもののはずだ。
けれど、いつしかそれは「喜ばせないといけない」となったり、「喜んでもらうことがゴール」になったりする。
それは、やはり苦しい。
相手の反応は、コントロールできないからだ。
ただ、自分のできることをするだけ。
私たちにできるのは、それしかない、と。
やはり何ごとも、経験者の言葉は、重い。
そして、不思議と違う方から、同じような言葉を聞く。
やっていることは皆違えど、自分の人生を生き、自分という存在を世界に与えている人の感覚というのは、似通ってくるのかもしれない。
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その方曰く、続けていると、「こういうのを作ったら売れる」というのがだいたい分かるらしい。
それでも、自分の感覚と合わなければ、やらない、と仰っていた。
時に、「こういうのを作ってください」とイメージ写真とともに依頼されることもあるそうだが、それも断る、と。
そこに自分が作る意味はないので、その写真の商品を、買ってもらえればいい、と。
うーん、カッコイイ。
ただ、言うは易し、行うは難し、ではある。
期待に応えることは、却って相手のためにならない。
自分のできることをすること、それだけが相手のためにできること。
相手に喜んでもらうことを、ゴールにしない。
ただ、自分が満足できるものをつくるために、全力を尽くす。
その時間こそが、ゴールなのかもしれない。
そんなお話を伺いながらの、蟹といくら丼、漬け卵を乗せて。