昨年の11月3日から始めた断酒が、今日で365日目となった。
ちょうど1年である。
息子とカメにエサをやりながら、酒を断とうと思いついた、1年前の小雨の降る橋の上。
あれから1年と思うと、あっという間のようで、また濃密な時間だったようで。
時間の流れの感覚というのは、不思議だ。
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「自分でこれをやる」と肚をくくった行動を取り始めると、時空が歪む。
あれ?あのときから、もう3年も経っているの?
え?あれから、まだ1年しか経ってないの?
そんな感じを受ける記憶が、増えてくる。
それは言い換えれば、自分の人生を生き始めると、時間は関係なくなる、ということかもしれない。
何かを始めるのに、遅すぎることはない。
よく言われる金言だが、それは自分の人生を生き始めると、時間など気にならなくなる、という感覚なのかもしれない。
逆に、この生の終わりまでの時間を気にするようになる。
いつ、自分の生が終わりを迎えるかというのは、誰にも分からないが、それでもそれが有限であることだけは、誰もが知っている。
そして、知っていると、肚の底で理解しているとは、違うことなのだと実感する。
限られた生の時間を、何に投下するのか。
その問いは、年を重ねるごとに、重い意味を成すようになってきたように思う。
その重みの分だけ、自分の人生を生きられるようになったのかもしれない。