土曜日夕方の名古屋駅は、にぎやかだった。
アングラな雰囲気の残る駅西もいいが、やはり桜通口から広がる東側は王道で華やかだ。
それでも、どこか野暮ったさが残るのが、名古屋という土地の愛するべきところなのだろう。
何軒かの候補に電話してフラれて、河岸を探して歩く、名駅4丁目。
ほどなくして、やさしく白い灯りに、皆の目が留まる。
何と風情のある佇まいだろう。
「おっさんホイホイ」と友人が評したのは、言い得て妙である。
亀の甲より年の功。
松笠よりも年嵩。
医者と味噌は古いほどよい。
老いたる馬は道を忘れず。
経験は学問に勝る。
時を重ねることでしか育むことができない風情というものが、確かにあるように思う。
それは、国技館や国立競技場、ナゴヤ球場、あるいは歴史のある寺社仏閣を訪れたときの、あの感じと同じだ。
積み重ねられた、時の重み。
暖簾をくぐると、その重みの醸し出す、圧倒的な我が家感が広がっていた。
テーブル席に腰掛けると、今日一日の心地よい疲れが滲んできて、ほっと一つため息をつく。
まだ時間は宵の口と早いせいか、女将が一人で切り盛りしていた。
お通しのタコ、マグロの刺身を味わいながら、じんわりと腰から椅子に根が生えてくるのを感じる。
ノンアルコールを舐めながら、酔いが回るように心地よい時間が過ぎていく。
心地よい空間、美味しい料理、そしてそれを囲む大切な友人たち。
お酒を飲まなくても、それだけで癒されるものだ。
どて焼き。
名古屋名物とは言いながら、自宅では食べないものの一つ。
じんわりと口の中に広がる滋味を、噛みしめながら至福の時間が過ぎていく。
焼き鳥の盛り合わせに、思い思いの串に手が伸びる。
何でも女将は手相を見て50年以上だそうで、一緒に訪れた友人も手相を見てもらっていた。
手相の他に、整体、果ては縁結びの仲人まで「複業」をマルチにこなすという女将。
「複数の肩書きを持て」という現代の金言を、まさに最先端で行くようである。
気怠そうな中にも力強い女将のその口調に、惹き込まれた時間だった。
店を出て、名残惜しくて暖簾と看板をまじまじと眺める。
あらためて、いい店構えだな、と思う。
後ろ髪を引かれるようにして二軒目を探しながら歩いていると、つい先月末に閉鎖した柳橋の中央水産ビルが見えてきた。
名古屋駅から徒歩5分の好立地で、その食を支えた台所が、約半世紀の歴史に幕を降ろした。
半世紀前といえば、先ほどの女将が手相を見始めた頃だろうか。
変わりゆく街並み、変わらない人風情。
串焼きの味と、女将の口調を思い出しながら、私はふと夜空を眺めた。
早くも始まっていたクリスマスの電飾が照らす夜空には、もう冬の透明さがあった。