「世界に通用する馬づくり」のためにジャパンカップが創設されたのは、昭和56年だった。
それから数えること39回、奇しくも私と同じ齢を重ねてきた。
されど、今年の海外馬の参戦は史上初めて「ゼロ」となった。
年々、存在感を増す香港国際競走。
昨年のアーモンドアイによる驚天動地のレコードタイム。
ディアドラやリスグラシューなど、今年も続く日本馬の海外での活躍。
馬場の異なる極東のレースにおいて、一発勝負で結果を出すことの難しさ。
さまざまな要因はあれど、結果として海外からの参戦はなく、日本馬だけのジャパンカップになった。
しかし、海外馬の参戦はなくとも、騎手は「世界オールスター」とも言える名手が揃った。
ランフランコ・デットーリ、クリストフ・スミヨン、ライアン・ムーア、オイシン・マーフィー、ウィリアム・ビュイック…
そして、お馴染みの武豊、クリストフ・ルメール、横山典弘、ミルコ・デムーロ、川田将雅…
出馬表に並ぶ名前を眺めているだけで、うっとりとする陣容だ。
そんな、ひとつのターニングポイントとなるであろう令和元年のジャパンカップは、秋の長雨に渋った重馬場でゲートが空いた。
最後の直線、渋った馬場を内から力強く伸びてきたのは、オイシン・マーフィー騎手が駆るスワーヴリチャードだった。
一年半、勝利から遠ざかった同馬を蘇らせたのは、変化を恐れない陣営の努力だったのかもしれない。
調教パターンをガラリと変え、CW主体から坂路に変えてびっしりと追い切る。
これまで実績のなかったチークピーシズを装着した。
手の合う乗り手を模索し、気鋭のアイルランドの名手を配した。
陣営はそれだけの決意と変化を持って、
得意の府中、そして連対率100%の道悪に臨んでいた。
変化とは、自らの存在意義すらをも疑うことだ。
それは、結果につきまとう非難をも黙って呑み込むコミットメントだ。
確かだと思っていた世界は、明日にはコインの裏表のようにひっくり返る。
変化を、恐るな。
結果ではない。
変化すると決めた事実こそが、すべてであり、あとは蛇足だ。
逃げ込みを図る軽量の3歳牝馬を、一完歩、また一完歩と追い詰めるリチャードの脚に、その決意が宿ったように見えた。
今日の勝利は、父・ハーツクライから受け継いだ成長力の勝利だ。
新進気鋭の世界のトップジョッキーの手綱の勝利である。
約1年半も勝利から遠ざかり、前走7着に惨敗していたにもかかわらず、3番人気に支持したファンの勝利でもある。
そして何より、
競走馬としての進退を考える5歳秋のシーズンにして、この馬の可能性を信じて諦めなかった陣営の勝利である。
アーモンドアイが勝った平成最後のジャパンカップより、5秒以上も遅い勝ち時計の、最速。
スワーヴリチャードとオイシン・マーフィー。
そして、庄野靖志厩舎、第39回ジャパンカップを、制す。
令和元年のジャパンカップが教えてくれたのは、変化することへの覚悟と、尊さだった。
変化を、
そして、
その先にある結果を、
恐るることなかれ。