大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

断酒日記 【399日目】 ~私がお酒から得られていた恩恵

全てがつながっているという感覚。

それが、私がお酒から得られていた恩恵なのかもしれない。

それは、お酒でないと得られないものだろうか。

それとも、お酒以外から得られるものだろうか。

さて、断酒399日目である。

先日のエントリーの中で、「お酒を飲まないことのメリット」はこれまでたくさん考えてきたが、そろそろ「お酒を飲むことで得られていたメリット」について考えてみる、という視点について書いた。

kappou-oosaki.hatenablog.jp

ものごとには光と影の側面が必ずある。

断酒を続けて1年強が過ぎ、「お酒を飲まないことのメリット」はたくさん享受してきたけれど、私が「お酒を飲んでいたことで得られていたメリット」が何だったのか、それを考えてみようと思う。

ある一つの楽しみや喜びを禁止してしまうと、それ以外の楽しみや喜びを感じることができなくなってしまう。

それと同じで、「お酒を飲んでいたことで得られていた恩恵」を喪失したままだと、人生の楽しみや喜びといったものが感じられなくなるかもしれないからだ。

それについて示唆を与えてくれた、断酒仲間の岩橋隆盛さんのブログ。

ameblo.jp

隆盛さんは、彼自身が「お酒から得られていたメリット・恩恵」を3つ挙げられている。

①.コミュニケーションの手段として

②.気持ちの切り替え(リフレッシュ)

③.制限を外して、ひらめきを得られる

どれも隆盛さんご自身が得られていたであろう、大切な恩恵なのだろう。

お酒を飲むことの恩恵としては、とても説得力がある。

上機嫌になってコミュニケーションが円滑になるし、人仕事終わった後の一杯で区切りをつけることができるし、普段は思いつかないような考えが浮かぶことは、お酒がもたらしてくれる恩恵である。

さて、私自身はどうだろうか。

確かに、隆盛さんが挙げてくださった3つの恩恵はあったのだろうが、どうもそれだけではないように感じる。

「私にとって」の恩恵は、何なのだろう。

このブログを始めてすぐあたりに、「お酒の楽しみ方」というエントリーを書いた。

少し引用してみる。

お酒について。

お酒が好き、という人は根本的には二つに分かれるように思う。

お酒が好きな人と、お酒を飲むことが好きな人。

前者はお酒の味や原材料や醸し方や、料理とのマリアージュなどを突き詰めることで楽しむし、後者はお酒を飲んで明るく楽しくなる場や会話、酔うことを楽しむ。いずれの楽しみも、一人でもみんなでも楽しめる。お酒への関わり方、接し方はひとそれぞれでいいと思う。

私の場合は後者の傾向が強く、もちろんお酒自体への興味や愛情もあるのだけれど、お酒を飲む場の雰囲気や会話、食事や酔うことが楽しくて飲んでいる。

お酒が好きな人は二通りあって、「お酒自体の味や香りが好きな人」と「お酒で酔ったり、お酒がつくる場が好きな人」がいる、と。

私自身は、後者の「お酒で酔うこと」、「お酒がつなぐ場」が好きだったのだろうと断言できる。

だから、長いことお酒を飲んでいたにもかかわらず、日本酒、ワイン、ウイスキーなどの味や銘柄には、とんと詳しくならなかった。

それは、私の根源的な部分に巣食う「寂しさ」や「虚しさ」を忘れるために、飲んでいたということの表れでもあるのだが、そこにヒントがあるように思う。

最大の短所は、最大の長所でもある。

私の心に空いた穴のもたらす「寂しさ」や「虚しさ」。

そこにフォーカスすると問題であり、また欠点なのだろうが、その反面、私の才能や長所は、その裏側にある。

すなわち、「つながり」である。

事実、私のストレングスファインダーの資質の第1位は、「運命思考」である。

運命思考は、英語で"Connectedness"。

人間構築力の資質であり、すべてのものごとや人々がつながっていると確信し、自分たちが大いなるものの一部であると信じることができる資質である。

「運命思考」の資質が高い人は、あらゆる人や物事は互いに結び付いていると考えています。この世に偶然というものはほとんど存在せず、ほぼあらゆる出来事には何らかの意味が存在すると確信しています。

クリフトンストレングスの資質「運命思考」より

「寂しさ」からお酒を飲んでいた私に、お酒が与えてくれた恩恵。

それは、裏を返せば「寂しさ」がもたらしてくれる恩恵でもあるのではないだろうか。

そろそろ、お酒が私に与えてくれていた恩恵が見えてきたようだ。

それは、お酒がつないでくれる場もそうなのだが、お酒がもたらす酩酊が与えてくれる恩恵が大きかったように思う。

お酒を飲んで酩酊してくると、ぼんやりと心地よくなってくる。

自分の身体の境界線が、溶けていくようで。

心も開いてきて、楽しくて笑っていると、いろんなものと「つながっている」ような感覚になってくる。

その酩酊状態、よく言えば陶酔感、すべてとつながっている感覚。

それがお酒が私に与えてくれていた恩恵なのだろう。

それだけに、お酒が醒めた後の反動も大きく、翌朝二日酔いのときの、この世の終わり感は半端ないのかもしれない。

さて、考えるべきなのは、お酒が与えてくれていたこの恩恵は、お酒でないと味わえないものだろうか。

それとも、何か別のもので与えてもらえるものだろうか。

陶酔感やすべてがつながっている感覚というと、いま世間を賑わせているドラッグが思い浮かんでしまうが…それは絶対ダメだしなぁ…

例えば、スポーツや音楽の中に、没頭する瞬間だろうか。

ゆっくりと、考えてみたいと思う。