大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

臆病さ、という輝き。

私は今まで沢山の研修医を見てきたけど、大抵の研修医は実習になると我先に切りたがるわ。

だけど中にはあなたのように臆病で、いつもビクビクしながら切ってる子がいる。

得てしてそんな子がいい医者になるものよ。

今のあなたのままで、どんどん場数を踏みなさい。

 

「医龍」9巻より

漫画「医龍」の中の、私が好きな一場面から。

難易度の高い手術のためのチームに入れられ、怯える研修医・伊集院に、チームのリーダーである加藤が確信を持って語りかける場面だ。

臆病さとは、すなわち才能なのかもしれない。

昆虫熱が冷めない息子と歩く、秋の終わりの道すがら。

アスファルトの道のど真ん中で、茶色の枝のような物体が、大きな鎌を広げてポーズを取っていた。

「カマキリだ!おとう、はやくつかまえろ!」

自分で捕まえないのが、息子らしいと言えば息子らしい。

カマキリの顔と風貌が苦手な私は、その細長い枝のような身体を捕まえようとして四苦八苦する。

カマキリは逃げるどころか、さらに鎌を持ち上げ、あまつさえ羽根を広げてきた。

蟷螂の、斧。

力のない者が、自らの力量もわきまえずに強敵に立ち向かう様子を、あざ笑う諺。

そんな言葉を思い出しながら、何とか捕まえたものの、生きている餌を与えるのが難しく、すぐにリリースすることになった。

鶏肉やハムを飼育ケースに入れたりと、いろいろと工夫してみたのだが、なかなか難しい。

ああせえ、こうせえと言いながら、最後まで息子はカマキリを触ろうとしなかったので、カマキリが苦手な私は閉口したのだが。

何十倍、何百倍の大きさの身体を持つ私に背を見せることなく、カマキリはひるむことなどない。

ただ、闘争本能のままに鎌を振り上げ、動くものを仕留めようとする。

その姿を「蟷螂の斧」とあざ笑うことができるのは、それが蛮勇だとわれわれが知っているからなのだろう。

敵わない相手に鎌を振り上げるカマキリには、その相手を怖れる怯懦というものはないのかもしれない。

蛮勇と怯懦。

そのはざまで、いつも人は揺れる。

されど、その揺れこそが、人を人たらしめている。

そして、

我先に切りたがる研修医と、

ビクビクしながらメスを持つ研修医。

その両方が、誰の心の中にも、いる。

怯懦を知らないカマキリは、蛮勇のごとき闘争本能でしか鎌を振り上げない。

けれど臆病さを持つ人間を突き動かすのは、闘争本能ではない。

夢か、希望か、お役目か、愛か…それによって、人は臆病さを乗り越えられる。

臆病さを感じるとき。

それは、必ず何かを成し遂げられると知っているときなのかもしれない。

臆病さは、才能であり、ギフト。

それは、芯の強さの、裏返し。

ビクビクしながらメスを持つ研修医こそが、いい医者になる。

臆病さ、という輝き。

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世界のすべてが橙色になる、夕暮れどきの道すがら。