年末特有の押し迫った感じは、年々薄れていっているように感じる。
コンビニや商業施設が元旦や2日から開いているおかげで、山ほど食料を買い込む必要もないし、少し長い休み程度にしか感じない。
これが、東京から新幹線なり飛行機で帰省するとなると、また違うのだろうか。
父方の生家も、母方のそれも、実家と同じ市内にあった私にとって、年末に帰省というものはテレビのニュースの中でしかお見掛けしない出来事のように感じるのだ。
それよりも、年末は皆がそろってお正月を迎える準備をしているイメージの方が強い。
鉄工所を経営していた父方の生家は、新しい年神様をお迎えするために、門松から鏡餅から、年末はいろんな準備に追われていた。
あの頃、正月三が日はどの店も休みだった。
同じ街なのに、どこか異世界のように感じたものだった。
あの頃というのは、私の記憶が残っている頃だから、おそらく私が小学生の低学年くらいの頃なのだろう。
だとすると、30年以上も前になるのだろうか。
毎年、その父方の生家に年末からお世話になって、年を越した。
もういい歳になっていた祖父は、安楽椅子にもたれながら、テレビで忠臣蔵か何かの時代劇をいつも見ていた。
こたつの上に盛られていたみかんを、私は姉二人とすぐに食べ尽してしまうものだった。
大晦日、紅白の演歌の時間になると、つまらなくて裏番組を見たかったのだが、私はいつもそれを切り出せずにいた。
年を越すまで眠らない!と、いつも気張っていたのだが、こたつの温かさに気づけば眠りに落ちてしまうのだった。
そろそろ布団に運んでやれ、と言われているのを、どこか遠くで聞いていたような気がする。
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近所の友達と大晦日の夜に初詣に出掛けるようになったのは、いつ頃だったのだろうか。
いつもは静謐な近所の神社は、寒空の下で大勢の人がたき火に当たりながら、12時を回るのを待っていた。
お祭りの日のように、たくさん夜店が出ていた。
けれど、にぎやかで解放的ななお祭りの日とは違って、どこか皆、厳粛で、そして新しい年を迎える希望に満ちた顔をしていた。
冬空の下、大人たち公認で12時を過ぎて出歩く初詣は、楽しかった。
ひとつ、大人になったような気がした。
もう少し大きくなると、もっと都会の大きな神社にも初詣に行くようになった。
真夜中にもかかわらず動いている電車や地下鉄は、やはりどこか異世界で、それに乗っていると、またひとつ、知らない世界を知ったような気がした。
そのくらい大きくなってからは、祖父の家に泊まることもなくなり、年が明けたところで新年の挨拶に行くだけになってしまったように思う。
祖父も歳を重ね、体調を崩したりするようになったりしていたから、それはそれで仕方がなかったのだろう。
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得たものよりも、失ったものの方に、私はいつも心を動かされるようだ。
ひとつ大人になり、ひとつ新しい世界を知るごとに、あの祖父の家から遠ざかっていったような気もする。
平成三十一年であり令和元年でもあった年が、暮れてゆく。
そんな年の瀬に思い出すのは、やはり祖父の家のようだ。
みんな、いた。
どこか時間の流れが、ゆっくりだった。
あのやわらかで、ぬくぬくとしたこたつの温かさを、私はどこかで探しているのかもしれない。
師走の夕暮れはどこか儚く。
されど冬至を過ぎて、次第に日は伸びていく。