息子が何度目かの、休日の約束をしてきたと言う。
近所に住む友だちと、日曜日の午後1時に川の橋のところで会う約束をした、と。
間に合うように早めに昼食を摂らせ、待ちきれない息子に急かされて、家を出る。
交通量の多い大通りを渡った公園に行くまで、ついてきて、と言う。
切手がなかった私は、その足でコンビニによって帰ろうと思っていた。
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約束の1時よりも少し前に、橋の上に着く。
友だちの姿は、なかった。
しばらくその辺りの道をウロウロとしながら、そわそわと息子は待っていた。
果たして、約束の1時を5分過ぎ、10分過ぎても、友だちは現れなかった。
目に見えて肩を落とす息子。
前回の約束が2時だったから、もしかしたら2時と間違えているのかもしれない。
息子とともに、2時という錯誤に一縷の望みを託して、一度家に帰ることにした。
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果たして、2時にまた橋の上を訪れても、彼は現れなかった。
息子は、橋の近くの彼のマンションまで行ってみると言い、未練を込めてペダルを漕ぐ。
807のはずなんだけどなぁ
集合住宅を見上げながら、息子はつぶやく。
大きな声で、呼んでみたら?聞こえるかもよ?
息子は大きな声で、彼の名前を叫んだ。
冬の空に、その名がこだまして、そして静寂が戻ってきた。
待ち人、来ず。
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あいつ、げつようびにあったら、100まんかいごめんっていわないと、ゆるさない。
知りうる限りの恨み節を並べていく息子と、肩を落とす帰り道。
その怒りの矛先が、私に向くのも容易に想像はついた。
思い通りにいかない怒りのエネルギーを、あらん限りの力でぶつけてくる息子。
待ち人、来ず。
約束は、破られる。
遠い昔の記憶を、どこか思い出す。
破られた約束に傷ついたのは、いつごろだったのだろう。
果たして、その約束は、私が一方的に交わしたと思い込んでいる約束ではなかったか。
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もしかしたら、急にお父さんとお母さんが用事ができたのかもしれない。
もしかしたら、風邪を引いて寝込んでいるのかもしれない。
次に会ったら、まずなぜか理由を聞いてみなよ。
そんな正論も、宙に浮くようだった。
だから、何だと言うのだ。
そんなことで、息子の胸の内が晴れることもない。
そんな正論など、呪詛のように私と友だちへの怒りを表明する息子に、何の意味があるのか。
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もう、あんなやつ、だいきらいだ。
違うだろう。
本音は、そこじゃない。
大好きな彼と、また楽しく遊びたかったんだよな。
その私の言葉を聞いて、息子の目が潤んだようだった。
ちがう!あんなやつ!
そうか、そうだよな。
もうすぐ大寒だというのに、吹く風は暖かかった。
暖冬のせいだけでは、ないような気がした。
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とかく何にでも意味を求めたがるのは、現代に生きる我々の病なのかもしれない。
そこに、意味などない。
言葉など、記号に過ぎない。
それは、ただの飾りだ。
だからこそ、我々はそれを伝え合うのだが。
寒さは増せど、ずいぶんと日が長くなってきた気がする。