人はどんなときに歌を歌うのだろう。
恋焦がれる相手への焼けつくような恋慕もあれば、露のように消える人生の儚さ、どこへもやり場のない激情、あるいはもう形を変えてしまった故郷への想い…
生きていく中で、避けようのないそうした感情を、人は歌に乗せてきたのだろう。
その歌は、同じ思いを抱えた多くの人の心を震わせ、癒し、そして明日への翼となる。
千年の昔に生きた歌人も、そうした歌の力を語っている。
力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛もののふの心をもなぐさむるは歌なり
古今和歌集/紀貫之 「仮名序」より
振り返って、私がよく音楽を聴いていた思春期のころ。
1990年代に流行していたポップスは、圧倒的に男女の恋愛について歌った歌が多かったように感じる。
どうしたらカッコよくなれるのだろう?いや、どうしたら女性にモテるのだろう?というようなことで、思春期の頭を悩ませていた私の内面の投影なのだろうか?
当然それもあるのだろうが、単に、当時のポップスを聴いていたリスナーの多くが、恋や愛についての喜びを知り、頭を悩ませていた世代であり、それだけ需要が多かったということもあるのだろう。
そんな中で、男女間の恋愛「以外」のことを歌った歌は、どれも印象深く、よく覚えている。
前置きがだいぶ長くなったが、CHAGE and ASKAの「NとLの野球帽」は、過ぎ去った少年時代への郷愁と、両親への慕情を歌った名曲中の名曲である。
工場の何かの機械が作動するような電子音から始まる、印象的なオープニング。
この曲を作ったCHAGEが少年時代を過ごした1969年は、高度経済成長期の真っただ中。
当時の子どもたちの遊びは、野球一択だったようだ。
無垢な少年の姿に、当時の時代の空気を重ね合わせる。
夢が、あった時代。
リアルタイムで生きていない私ではあるが、そんな風に感じる。
日が暮れるまで友達と遊びまわった、セピア色の一コマ。
しかし、誰にとってもそうであるように、その幸せな時代も永遠には続かない。
この曲も、短調に変調していく。
実家を引き払った際のゴタゴタのせいか、私の少年時代が写っている写真は、あまり残っていない。
けれど、その数少ない写真に写る私は、この歌詞のように、緊張しながらも笑って、そして突っ立っている。
そのとき、ファインダーを覗いていた誰かに想いを馳せて、いつも落涙してしまうのだ。
それを思い出し、このサビの最後に、いつも目頭が熱くなる。
そして曲は、その「親」に焦点を当てる。
父方の祖父は、街の鉄工所を経営していた。
この歌詞を聴くたびに、祖父の自宅兼工場の庭に、大量にあった鉄くずを思い出す。
カンナのような機械で削り取られたその鉄くずは、虹色に光っていた。
無邪気な少年時代の夢と、それを支えていた大人たちの対比が、何とも美しい。
「愛するものが近くにあった」時代。
おそらく、そうだったのだ。
どんな時代も過ぎてしまえば美化される。
それは、高度経済成長期だったから、というだけでもあるまい。
それがどんなに素晴らしい時代であったとしても。
「失くした物は景色だけ」なのだ。
「NとLの野球帽」とは、当時福岡県で少年時代を過ごしたCHAGEさんが熱心に応援していた西鉄ライオンズの野球帽のことだとされる。
1969年に主力選手が野球賭博に絡んだ「黒い霧」事件に見舞われ、1972年限りで消滅した西鉄ライオンズ。
その思い出に、CHAGEさんは何を重ねたのだろう。
変わらぬものなど何もないし、 永遠に続くものなど何もない。
紀元前のギリシャに生きたヘラクレイトスが言う通り、「万物は流転する」だけである。
されど、この曲で歌われている通り、「失くした物は景色だけ」なのかもしれない。
一緒に、歩こう。
「NとLの野球帽」は、いつもそう思う勇気をもらえる名曲である。