多かれ少なかれ、誰しもが思春期に自分の身体について劣等コンプレックスを持つ。
他人と比較して、自分は格好よくない、美しくない、綺麗じゃない、劣っている…と。
私自身も、そうだった。
私の場合は、「くせっ毛」がそれだった。
少し伸びてくると、波を打つようにくるくるとする髪質。
ドライヤーでの乾かし方や、整髪料をどれだけ研究してみてても、周りの皆のようにまっすぐでサラサラな髪にはならなかった。
湿気の多い梅雨時など、どうやっても毛先があちこちに跳ねてボサボサになってしまい、憂鬱になったものだった。
どうやっても言うことを聞かない自分の「くせっ毛」に付き合っていくのに、私ができる対策は「くせが出る前に切る」ということくらいだった。
そんなこんなで、髪が伸びてクセが出始めると、短く切りたくなる。
「くせが出ない程度まで、切ってください」
髪を切りに行くと、いつもそう言っていた。
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伸びてきた髪を切りたいなぁ、と思いながら、なかなかその時間を見つけられずにいた、ある日のこと。
昔お世話になった方に、久しぶりにお会いする機会があった。
少し言葉を交わしただけだが、そのバイタリティとエネルギーは、私がお世話になった10年以上前と変っていなかった。
「ほんと、変わらないですね。というか、会うごとに若くなる」
私がそう言うと、
「お前もだよ。相変わらず、髪の毛は黒々としてるな。見ろよ、俺はもう白髪が目立ってきたぞ。もう染めるのも諦めたけどな。染めてないんだろ?」
と破顔しながら仰っておられた。
そういえば、ありがたいことに、まだ髪の毛を黒く染めることには縁がない。
人と会うのは、エネルギーをもらえるものだ。
ほんの少しの時間だったが、握手をして別れたあと、心が軽くなった。
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不思議なもので、そういうときは髪の毛についての話題が続く。
髪が伸びたことを、好意的に仰ってくださる周りの方が、現れる。
そうこうしているうちに、髪を切りたい欲求はどこかへ行ってしまった。
そのままもう少し、伸びるに任せてみようかとも思うようになった。
不思議なものだ。
自分を愛する許可が出せたから、周りがそう言ってくれるのか、
あるいは、その逆か。
ニワトリが先か、タマゴが先かのような議論なのだろう。
ときに、自分を愛するタイミングは、周りが教えてくれる。
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そういえば、私のこのくせっ毛の髪質は、亡き母親から受け継いだものだった。
どこかつながっていると思えば、それもまたいいような気がした。