大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」に寄せて

THE BLUE HEARTSが好きだった。

彼らの詩には、哲学を感じるから。

それは、想像の上のものでもなく、紙の上のものではなくて。

べっとりと、彼らの血の匂いがする。

それは、なぜか世界観とか呼ぶよりも、

哲学

と呼びたくなるのだ。

彼らの歌と、そのパフォーマンスに、私も含めて同世代の男性の多くは憧れた。

自由奔放で、激情に身を任せるようなその姿。

誰にも真似できない、その歌い方。

自我が目覚め、アイデンティティが確立しだし、その分、他人との比較が始まる思春期に聴く、彼らの曲はどこまでも眩しかった。

…と思いそうになるが、彼らの歌と詩の持つ繊細さ、脆さ、弱さ、はかなさ、意気地のなさ、愚かさ…といったものに、実は惹かれていたのかもしれない。

男性という存在が、普遍的に持っているものなのかもしれない。

それは「隠す」とカッコ悪く、醜く見え、「晒す」と色気や魅力になる。

彼らの歌は、彼ら自身の弱さ、やるせなさを、どこまでも

彼らの歌の中でも、「情熱の薔薇」が好きだった。

歌詞だけを見れば、パンクロックバンドの歌とは見えないような繊細さ。

好きなこと、楽しいことにしても、同じような心理が働く。

楽しいことをし過ぎると、その後が寂しくなるから、ほどほどにしておこう。

ほんとうに好きなことに夢中になってしまうと、なんだか怖い。

ほんとうは好きなのに、すごくやりたいのに、人はどこかでブレーキを踏む。

けれど、彼らのパフォーマンスがそうであるように、自分では分かっているのだ。

彼らの歌を聴いていると、その葛藤すら美しく思える。

そのままでいい。その弱いままでいい。

ただ、情熱を、胸に。