THE BLUE HEARTSが好きだった。
彼らの詩には、哲学を感じるから。
それは、想像の上のものでもなく、紙の上のものではなくて。
べっとりと、彼らの血の匂いがする。
それは、なぜか世界観とか呼ぶよりも、
哲学
と呼びたくなるのだ。
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彼らの歌と、そのパフォーマンスに、私も含めて同世代の男性の多くは憧れた。
自由奔放で、激情に身を任せるようなその姿。
誰にも真似できない、その歌い方。
自我が目覚め、アイデンティティが確立しだし、その分、他人との比較が始まる思春期に聴く、彼らの曲はどこまでも眩しかった。
…と思いそうになるが、彼らの歌と詩の持つ繊細さ、脆さ、弱さ、はかなさ、意気地のなさ、愚かさ…といったものに、実は惹かれていたのかもしれない。
男性という存在が、普遍的に持っているものなのかもしれない。
それは「隠す」とカッコ悪く、醜く見え、「晒す」と色気や魅力になる。
彼らの歌は、彼ら自身の弱さ、やるせなさを、どこまでも
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彼らの歌の中でも、「情熱の薔薇」が好きだった。
歌詞だけを見れば、パンクロックバンドの歌とは見えないような繊細さ。
好きなこと、楽しいことにしても、同じような心理が働く。
楽しいことをし過ぎると、その後が寂しくなるから、ほどほどにしておこう。
ほんとうに好きなことに夢中になってしまうと、なんだか怖い。
ほんとうは好きなのに、すごくやりたいのに、人はどこかでブレーキを踏む。
けれど、彼らのパフォーマンスがそうであるように、自分では分かっているのだ。
彼らの歌を聴いていると、その葛藤すら美しく思える。
そのままでいい。その弱いままでいい。
ただ、情熱を、胸に。