ほんとうにやりたいことを前にしたとき、人は怖れを抱く。
遠い昔の、思春期の淡い恋心に似ているのかもしれない。
告白して振られたら、どうしよう。
私なんかでは、あの人とつり合わない。
もし、想像していたような人ではなかったら。
誰かに知られたら、バカにされそう。
そもそも、ほんとうに好きなのだろうか。
出口のない思考を、ぐるぐると繰り返す。
傍から見れば、「あんた、もうずぶずぶに惚れてんで、それ。はよ玉砕してきなよ」と突っ込みたくもなる。
けれど、本人にとっては、食べることも寝ることも忘れる、大問題だ。
そんな淡い想い出のように、
ときに、怖れも出よう。
葛藤も出よう。
抵抗も、出よう。
そのままでいい。
駅のホームの駅員のごとく、「あぁ、これは私の怖れだ」、「いま、感じているのは葛藤だな」、「これは抵抗なんだ」と、一つ一つ指差し確認をするだけでいい。
それらは、無くすべきものでもなく、消し去るべきものでもなく。
私たちの背に与えられた、翼なのだ。
そして、
怖ければ怖いほど、ほんとうにやりたいことなのかもしれないから。
そのままでいい。
どうせ、やるのだから。
やってしまうのだから。
やらざるを得ない状況に、いつの間にかなっているのだから。
怖れ、慄けばいい。
悶え、葛藤すればいい。
いくらでも、抵抗すればいい。
どうせ、いつかやるのだ。
やってしまうのだ。
いや、やらされるのだ。
誰にって?
内なる自分の声に、なのかな。
きっと。
ほんとに走ることが好きな仲間を応援に。