またか。
どうせ、来ないんだろうな。
そう、思ってしまった。
息子から、また近所のヨウイチ(仮)くんと遊ぶ約束をしてきたことを聞いたときの、私の偽らざる心情だった。
また約束を破られて、ガッカリする息子を見たくないのと、その後で私に八つ当たりされるのが面倒だということも、正直なところだ。
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3ヵ月ほど前に、息子はアフタースクールの友達と休日に遊ぶ約束をして、初めて子どもたちだけで遊んできた。
子どもの成長の速さに驚き、その後にも同じように子どもたちだけで遊んだことが1回あったのだが、あるときからヨウイチくんは約束の時間に現れなくなった。
約束をすっぽかされるたび、息子は荒れた。
週明けに息子が聞くと、ヨウイチくんは「急に用事が入った」と謝るらしく、またヨウイチくんの方から週末に遊ぶ約束をしてきたと言う。
けれど週末になると、ヨウイチくんは約束の時間に現れない。
また週が明けると、ヨウイチくんは釈明して新たな約束を息子と交わす。
また、週末に待ちぼうけを食らう。
またまた、週明けにヨウイチくんは釈明し…
というやり取りを、もうすでに5回以上は繰り返していた。
律義に約束を守ろうとする健気な息子に、毎回付き合いながら、なぜヨウイチくんは現れないのだろう、と訝しがった。
そして、毎回約束を破るのに、なぜ毎回新たな約束を取り付けてくるのだろう。
来ない男、待つ男。
それは凹凸のようにぴったりと形が合ってしまったのか、約束は履行されないまま重ねられていくのだった。
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なあ、なんで、ヨウイチくんは毎回、来ないんだろうな。
息子に、聞いてみたことがあった。
わかんない。
あいつ、きっとやくそくしたのに、さむいからいやになったりしたのかも。
もしかしたら、Youtubeをみたいとかで、めんどくさくなったのかも。
ヨウイチくんの夢は、Youtuberらしかった。
それにしても、子どもながら約束を破ることに、罪悪感はあるはずだ。
それなのに、悪びれもせず、毎回毎回約束を取り付けてくるのは、なぜだろう。
もしかしたら、息子はからかわれているのか。
ただ、ヨウイチくんと実際に会って私も遊んでもらった感じでは、そんなことをしそうな感じは受けなかった。
ますます、謎は深まるばかりだった。
確かに、息子の言う通り面倒になったのかもしれない。
けれど、もしかしたら、もしかしたら、ほんの紙のような確率かもしれないが、これまで毎回、「止むを得ない理由」で来れなかったのかもしれない。
息子には、
そうだな。
ヨウイチくんのことは、ヨウイチくんにしかわからないよな。
でも、もしかしたら、ヨウイチくんは来たかったけど、何か言えない理由があるのかもしれない。
もし、もし、そうだとしたら、ヨウイチくんからすると、信じてもらえないことは、すごくショックかもしれない。
だから、決めつけはしない方がいいんじゃないかな。
「ヨウイチと遊びたかった」って、自分の気持ちを伝えられるといいな。
とだけ言っておいた。
それでも、言いながら、私も毎回約束を破るヨウイチくんを、疑っていた。
ガッカリしてションボリした息子を見たくないし、毎回その後で荒れて私に八つ当たりされるのも、いい加減しんどいから。
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そんな息子が、土日の両方にヨウイチくんと遊ぶ約束をしてきたと聞いたときの、私の心境が、冒頭のものだ。
どうせ、来ない。
果たして、土曜日にヨウイチくんは現れなかった。
通常運転だ。
そして迎えた日曜日、約束の2時に、約束の橋に向かう。
案の定、ヨウイチくんの姿は、ない。
ヨウイチくんのマンションを知っている息子は、そこまで行くと言う。
これもまた、毎回の流れだ。
日曜の午後、静かな通りから見えるそのヨウイチくんのマンションの前に着く。
親子連れが一組出てきただけで、ヨウイチくんの姿は見えない。
何度も、マンションの周りを自転車でくるくると回る息子。
時計は、もう2時15分を回っていた。
もう、帰る。
戻ってきた息子は、力なくそう呟いた。
私も、無言で頷いた。
ヨウイチくんのマンションの前の道を曲がって、橋の方に走っていく。
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そのときの息子の表情を、私はずっと覚えているのだと思う。
ヨウイチくんが、向かいから走ってきた。
以前に見た、あの黄色の少しサイズの小さな自転車に乗って。
なぜか、私の頭の中では、2000年の有馬記念の直線の実況が勝手に再生された。
オペラオー来た!
オペラオー来たっ!!
オペラオー来たッ!!!
えげつないくらいの徹底マークにより、4コーナーでは絶望的な位置にいたはずなのに、馬群を縫って追い込んできた、テイエムオペラオーと和田竜二騎手のように、ヨウイチくんが見えた。
ヨウイチ来た!
ヨウイチ来たっ!!
ヨウイチ来たッ!!!
ミレニアムの有馬記念の直線を思い出して興奮する私。
あの有馬記念でテイエムオペラオーの単勝馬券を握りしめていた多くの人は、最後の直線で、いまの私と同じ顔をしていたのだろうか。
そんなことを考える私をよそに、「おせえよ」と冷静にヨウイチくんに突っ込む息子。
きのうは、なにしてたんだよ。
と続ける。
ヨウイチくんの顔が歪む。
あぁ、そうか。彼もまた、罪悪感にまみれていたのだ。
おばあちゃんのいえにいってたり…
あとは、おかあさんが、かってに、ほかの子とあそぶやくそくするなって…
やはり、ヨウイチくんには、ヨウイチくんなりの事情があったのだ。
思い当たるフシが、あった。
2回目かに遊んだとき、夢中になり過ぎた二人は、日が暮れるまで遊んでいた。
それで、ヨウイチくんの親は、心配して遊びに行くことを禁じたのかもしれない。
それでも、遊びたい。
募る罪悪感にもめげず、ヨウイチくんは、毎回息子を誘ってくれたのかもしれない。
そう考えると、これまでのすっぽかされた約束が、どこか大切な時間のように思えた。
息子は破顔一笑した後、もう「男の子」の顔になっていた。
もう、おとうはついてこなくていいから。
とそっけない態度に変わる。
友達の前では、恥ずかしいのだろう。
そりゃ、そうだ。
それでも、そのためについてきたのだから、と交通量の多い大通りを渡るまで見送った。
=
いつか、息子がいまを振り返ったとき。
何度もすっぽかされた約束を思い出すのだろうか。
それとも、夢中になって二人で遊んだことを、思い出すのだろうか。
翻って大人の私は、
ヨウイチくんのように、誘えるのだろうか。
息子のように、信じて待つことができるのだろうか。
そんなことを考えながら、自宅への道を歩く。
風はほのかに暖かく、いつの間にか陽射しは力強くなっていた。
来ない男、待つ男。
それぞれの季節が、めぐっていたのだろう。