幼いころの記憶を、鮮明に覚えている人がいる。
以前に聞いた話だと、神童として知られていたある人は、自分が産まれたときに浸かった産湯のタライの形を覚えているという。
そこまでの記憶はさておき、幼少期の記憶をよく覚えている人と、そうでない人は分かれるように思う。
完全に後者である私は、
あのとき、〇〇ちゃんにこう言われて悲しかった
このとき、〇〇先生に褒められて嬉しかった
というように、よく覚えている人の話を聞くと、ある種の尊敬と羨望を覚える。
それは、私が忘れて置いてきてしまった宝箱を、その人は持っているような気がするからなのだが。
そんな私でも、ぼんやりとながら、覚えている記憶もある。
いったい、記憶とは、何なのだろうか。
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記憶とは何か。
「そもそも、時間あるいは過去というのは存在するのか?」という哲学的な問いにまで昇華することもできるが、やはり記憶というのは不思議だ。
不惑も近くなってくると、なおさら昔の記憶というものはあやふやで、そして気付かぬうちに書き換えられていく。
正月も元旦から仕事に出掛け、単身赴任で月に何日も顔を見られなかった父の寂しい記憶は、自分が同じような歳になってみれば、家族を深く愛していたと実感するように。
いったい、記憶というのは、何だろう。
人間の脳のメモリーが、パソコンやスマートフォンのように、容量を増やすことができないのであれば、日々生きるということは、それだけ古い記憶を消去していくということとも考えられる。
それでも、不思議と昔の記憶は覚えているものだ。
歳を重ねるごとに、昔の記憶をよく語る人は、珍しくもない。
忘れたり、忘れなかったり。
その選別は、誰がどうやって行われているのだろう。
飛躍的に発展していくテクノロジーや脳生理学は、いつかその問いに答えを出すのだろうか。
感情というものが、ある種の化学物質の分泌による反応であったりするように。
記憶というものも、何らかの物質がトリガーを引いて私たちにそれを見せてくれるというシステムが、いつか解き明かされるのだろうか。
おそらくは、そうなのだろう。
ほんの100年前の人間からすると、夢物語を実現しているような、このテクノロジーや科学の発展を考えると、それを否定する要素は何もない気がする。
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さりとて。
それによって、記憶というものが持つ、何がしかの感傷的な部分が失われるわけでもない。
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閏日に故郷で咲く花を見た日、やはりいくつかの記憶を思い出していた。
それは、その道を歩いた記憶だったり、あるいは夏祭りに使うやぐらの形だったり、ほんの他愛もない記憶だった。
ぼんやりとその記憶をたどりながら、春の花を愛でていたところ。
見慣れない新しい道案内の看板を見た。
そのなかの一つの矢印の地名に、見覚えがあった。
私が通った、幼稚園がその名に関したお寺の地名だったからだ。
不思議と、私は幼稚園を卒園してから、再びそこを訪れた記憶がない。
小学校に上がると同時に、引っ越したこともあったとは思うのだが、それでもなぜか再訪した記憶がない。
昔の記憶が薄い私のこと、ほんとうは訪れていたのかもしれない。
それでも、その記憶はなかった。
故郷を離れて下宿をして、就職をして戻ってきた。
墓参りで故郷を訪れるようになってから、小学校、中学校の前の道は通ったことがあり、懐かしく思った。
けれど、なぜか幼稚園は訪れていなかった。
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私は、その案内に従って、車を走らせてみた。
果たして、その幼稚園は、あった。
外壁を彩るキリンのモニュメントも、30年以上前の、そのままだった。
土曜日だが、何かのイベントがあり、園児とその保護者の方が何組か園庭にいた。
車を停めて、少しの間、その建物の輪郭を眺めていた。
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いったい、記憶というのは、人間だけのものだろうか。
このキリンのモニュメントや園庭、道路や、あるいは空や星も、その記憶を持っているのではないだろうか。
ふとしたときに、それらが持つ記憶というものが、ふっと立ち現れるような気がする。
目の前のキリンと、30年以上前の追憶の中のキリンは、寸分の違いもなかった。
ぼんやりとしていると、クラクションが鳴った。
どうやら、園児の迎えに来た車を邪魔していたらしい。
慌ててエンジンをかけて、細い路地に出て行く。
あのキリンもまた、私を思い出してくれているいいのだが。
そんなことを、思った。
この光景もまた、いつか記憶となって思い出すのだろうか。