ライフワークは、必ず叶います。
と彼女は言った。
そして、続けた。
その第一は、ビジョンを描こうが、描けなかろうが。
今を生きること。
今やれることをやりきること。
彼女の言葉だ、と思った。
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やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける
世の中にある人ことわざしげきものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひ出せるなり
花になく鶯(うぐひす)水にすむ蛙(かわづ)の声(こゑ)を聞けば生きとし生けるもののいづれか歌を詠まざりける
力をも入れずしてあめつちを動かし目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ男(をとこ)女(をむな)の仲をもやはらげ猛きもののふの心をも慰むるは歌なり
古今和歌集「仮名序」
言葉の持つ力はなんなのだろう、とよく考える。
美しい映像でもなく。
霊感あふれる音楽でもなく。
ただ、文字の羅列が、力もなく天地を動かし、物の怪すらも涙を誘い、男と女の仲をやわらげ、勇ましい武士の心を慰めることがある。
いったい、言葉とは、言葉の力とは、なんなのだろう。
言霊、という思想を、遥か昔から私たちは抱いてきた。
言葉に宿る、霊性。
そして、その力。
その魔力に、私は今日も魅せられ、悩み、葛藤し、驚き、そして畏怖する。
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結局のところ、その人を離れての言葉の力など、なきに等しい。
その言葉に霊性を宿すのは、その言葉を発する人の血であり息吹であり鼓動だ。
何をどれくらい考え、
何をどのように経験し、
何をどうやって捨て、
何をどれだけ受け取り、
何にどれほど傷つき、
何をどれほど愛してきたのか。
それが、言葉に宿る。
言葉回しの美しさでも、
流麗さでも、
上手さでもなく、
生の鼓動が、そこに宿る。
それは、
心の臓に刺さったアイスピックであり、
この手にべっとりとついた精液の生暖かさであり、
故郷の山に沈む夕陽の紅さであり、
嫉妬であり歓喜であり絶望であり激情であり、
生への渇望である。
たとえ、その言葉を発する人となりを、全く知らなかったとしても。
必要な人は必ず、その言葉を見つけて、心を動かす。
私が彼女の言葉に出会ったように。
そう信じていなければ、書き続けることなど、できるはずもない。
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彼女の続けた言葉。
未練はあれど、後悔はありません。
その言葉に、彼女が乗せた想いの深さを想う。
霊性に満ちた人の言葉の多くが、そうであるように。
彼女の言葉もまた、二元論ではなかった。
分けない、ということ。
分かれない、ということ。
陽は登り、また沈む。
与えど、尽きず。
その言葉の力を想うとき。
私は、ここにいる。
ただ、ここにいる。
いま、ここにいる。
おつかれさまでした。
おめでとうございます。
そして、
ありがとう、ジュンコさん。
よく晴れた青い空の色を、よく覚えている。