大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

痛みは、成長がゆえに。

啓蟄を過ぎ、春分を迎え。

いよいよ春めいてくると、やはり外に出たり、何かを始めたりしたくなるようで。

周りの知人や友人たちが、身体を動かしているのを見たからもあるのだが、少しずつ身体を動かしている。

ランニングか筋トレのどちらかを、毎日少しずつしていこうと思っている。

今日は、筋トレの後遺症で、筋肉痛が身体の各所に出ているが、元来のM気質ゆえ、それも心地よい。

筋肉痛は、運動などで激しく動かしたり、負荷が加わったりした筋繊維が傷つき、それを修復する際に起こる炎症が原因と聞く。

その修復をする際に、傷ついた筋繊維は、傷つく前よりも太く強い筋繊維になろうとする。

筋肉痛の前の状態よりも強くなろうとする、この現象を「超回復」と呼ぶ。

筋トレはこれを繰り返すことで、強く太い筋肉を持った身体をつくろうとすると、高校生の頃に部活で学んだように覚えている。

けれど、どうも筋トレは私の性分に合わないようで、あまり続いたことがなかった。

春だから。

そんな理由で始めるのも、いいのだろう。

同じような理由で、止めてもいいのだから。

断酒のように、やってもやらなくてもいい、くらいの緩さで、ゆっくりと歩こう。

身体が教えてくれることは、全て正しい。

そうだとしたら。

筋肉の痛みが教えてくれることもまた、正しい。

痛み、というものは、私たちを成長させてくれる合図なのかもしれない。

頬をつねって引っ張ると、当然ながら、痛い。

けれど、そのときに頬は伸びて広がっている。

その腹筋や足の筋肉に痛みを感じるとき。

それは、傷ついた筋肉が、健気にも前よりも強くなろうと、再生しているとき。

おなじように。

もしも、心に痛みを感じるときは。

それは、傷ついた心が、前よりも広く深くなろうと、再生しているときかもしれない。

痛みは。成長がゆえに。

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