私がお酒を断ってから、529日が経った。
もうすぐ1年半になろうとしている。
相変わらず淡々と断酒は続いている。
けれどここ最近は、私自身というよりも、社会全体がお酒との関係性が変わる岐路に立っているように感じる。
在宅勤務、オンライン、人と会わない、そして環境の変化や、先行き不安からのストレス…お酒が好きで、飲み歩いていた人は、「お酒との付き合い方」そのものも変化せざるをえない状況にあるのかもしれない。
私自身は、いまはお酒を断っているが、その代替物としての甘いものの摂取量が増えたと感じる。
お酒と砂糖のどちらが身体に悪いか、という議論はさておき、「不安や怖れ」、「ストレス」、「生活リズムの変化」、あるいは「孤独」、「寂しさ」という因子は、飲酒などの刺激物へのハードルを著しく下げる。
お酒を例にとれば、「皆で楽しむ美味しいお酒」が、いともたやすく「酔うための酒」に変わる。
本来、お酒というのは、これまで歴史を積み重ねてきた文化の極みであり、味わい、楽しむことで、人生を豊かにしてくれるもののはずだ。
そのお酒が、いつの間にか、不安や寂しさを慰めるための刺激物に変わる。
元来、大容量の寂しさを抱えていた私は、そのケがあったのだが、平日の夜に自宅で飲酒をすることを始めたときから、殊更にその傾向が強くなった。
それでも、何とか翌日の朝には、仕事で家を出なくてはならないという「制限」があったからこそ、何とかその泥沼に頭の先まで嵌らずに済んだように思う。
在宅が続けば、その泥沼に沈んでいくリスクは高くなる。
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お酒は、楽しいものだ。
美味しい肴と、心が緩んでいく時間、そして大切な人たちの笑顔…どれもこれも、何ものにも代え難い。
これだけ変化が激しい時代では、もう近しい未来ですらも、どんな社会になっているのか想像がつかないし、既存の価値観は気づけば新しい価値観に置き換わっていくのだろう。
けれど、どんなにオンラインのサービスが充実しようとも、あるいは在宅勤務が当たり前になろうとも。
お酒の、その楽しみというのは、これからも残っていくはずだ。
願わくば、その楽しみが、苦しみに変わることのないように。
生活のリズムが変わったとき、ストレスがかかっているとき、これから先のことが考えられずに不安に駆られるとき、あるいは、眠りが浅くて明け方に目が覚めてしまうようなとき。
そんなときは、お酒との付き合い方を、よくよく考えるタイミングだ。
「酔うためのお酒」、「寂しさを散らすためのお酒」は、いとも簡単に私たちの心の隙間から忍び込んでくる。
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そうならないためには。
やはり誰かと「話す」ことだ。
自分の胸のうちを、「話す」ことだ。
誰かに話せない時、私たちの心はそのストレスを澱のように溜め込んでいく。
それは、溜まりこそすれ、勝手になくなることはない。
だから、話そう。
また、笑顔で飲みに行くために。
できるのであれば、心の許せる大切な人、パートナー、家族、友人…そういった存在に、「話す」ことだ。
けれど、ときにそれは、とてもハードルが高い。
自分にとって大切な存在こそ、心配をかけたくないし、迷惑になってはいけない。
だから、無理をして頑張る。
だから、話せなくなる。
それも一つの愛なのだが、それが1か月、2か月と長期的に続くと、心身が疲弊していき、心の隙間が大きくなっていく。
そんなときは、カウンセラーの力を借りるのもいい。
私自身もカウンセリングというものの持つ力に、これまで随分と助けられてきた。
ここで文章を書くことを続けているのも、カウンセリングの恩恵でもある。
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私の大切な人たちが、カウンセリングをしています。
もしカウンセラーを探すのでしたら、ご参考にしてください。
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つながらなければ、人は生きていけない。
話そう。
誰かと、話そう。
"Stay home"ならば、"Talk someone"が必要だ。
誰かと、話そう。
また、笑顔で飲みに行くために。