一歩。
また、一歩と、踏み出す。
遥か彼方に見えたあの景色は、
気付けばもう眼前を通り過ぎていく。
私は、また顔を上げて前を見る。
今度は、あの景色に向かって。
左足を、前へと踏み出す。
いつしか下半身は熱を帯び、
背中に、腕に、汗が吹き出てくるのを感じる。
一つ、大きく深呼吸をして、息をつなぐ。
=
苦しそうに大きな息遣いをした誰かが、
私を追い越していく。
あれは、いつかの私だったのだろうか。
何を、背負っていたのだろう。
母親と手を繋いだ幼子を、
私は追い越していく。
少し、寂しそうに見えた、その小さな背中。
あれは、いつの私だったのだろう。
=
私は、歩みをやめない。
左足、右足、左足、右足…
一歩、また一歩と同じリズムで。
そのリズムは、
心の臓が刻むビートにも似ていた。
沿道で、手を振る人がいる。
笑っている人がいる。
愛を、向けてくれる人がいる。
私は、彼らに笑顔を返す。
あれは、父だったのか、それとも母だったのか。
=
気付けば、遠いところに来ていた。
彼らが、私をここまで運んでくれた。
接地する右足のかかとが、地面を噛む。
親指が、地面を蹴る。
左足が、地に着く。
そのリズム、その走り、その息遣いは、誰のものでもない。
わたし、自身のものだ。
父と、母と。
そして、有縁の人たちに。
与えられたそれを、私は日々紡いでいく。
=
光がやってくる。闇が去っていく。
雨が降ってくる。陽が去っていく。
鬱がやってくる。喜びが去っていく。
私はどこへも行けない。
私はどこにも行かない。
走ることは、書くことに似ている。
それは、怖れることであり、
呼吸することであり、
慄くことであり、
ビートを刻むことであり、
生きることであり、
愛すること。
=
私は、走る。
私は、生きる。
わたしは、書く。
2020年5月2日
大嵜 直人