大嵜 直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー見習い。

もしも、世界が音であったなら。

もしも。

 

もしも、世界が音であるならば。

 

それは、どこまでも広がりゆくものかもしれない。

 

それは、ただ浮かび、ただ消えゆくものかもしれない。

 

それは、聴くことで初めて姿を現すものかもしれない。

 

それは、そこに在ることを伝えるためのものかもしれない。

 

離れていても、近くにいても。

 

ここに、いるよ、と。

 

 

もしも、世界が音であるならば。

 

それは、振動でありバイブレーションのようなものかもしれない。

 

それは、春一番に揺れる綿毛のように。

 

それは、薫る風にそよぐ小枝の葉のように。

 

それは、鈴虫の音になびく枯れ葉のように。

 

それは、手のひらで溶ける雪のように。

 

それは、動いていることが、存在の証明であるように。

 

それは、動きを止めずに、ささやきかける。

 

揺れるままで、いいよ、と。

 

 

もしも、世界が音であるならば。

 

それは、静かな水面に広がる波紋のようなものかもしれない。

 

それは、同心円状に、どこまでも広がりゆく。

 

それは、水面を揺らしたかと思えば、すぐに流れていく。

 

それは、ときに別の波紋に触れ、波打ち、ゆらぎ、消えながら。

 

時に揺れ、時に流れ、時にうたかたのように。

 

いつしか、水面は静けさを取り戻す。

 

過去も、現在も、未来もなく。

 

ただ、流れていき、ただ、繰り返す。

 

それは、静かに諭してくれる。

 

そのままで、いいよ、と。

 

 

もしも、世界が音であったなら。

 

それは、いつか誰かと交わした言葉のようなものかもしれない。

 

それは、どこか懐かしいけれど、なぜか思い出せない。

 

それは、どこかの街角で拾われた落とし物かもしれない。

 

それは、ゆらゆらと揺れる夕陽に滲む暖色かもしれない。

 

それは、いつか父に背負われて見た風景かもしれない。

 

いつか、どこかで、誰かから、聞いた言葉。

 

赤子を寝かしつけるときの、トン、トン、という音と同じやわらかさで。

 

そこにいてくれて、ありがとう、と。

 

 

もしも。

 

もしも、世界が音であったなら。

 

それは、いま目の前に見える世界、そのままかもしれない。

 

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根本理加さんのクリスタボウルに寄せて。