もしも。
もしも、世界が音であるならば。
それは、どこまでも広がりゆくものかもしれない。
それは、ただ浮かび、ただ消えゆくものかもしれない。
それは、聴くことで初めて姿を現すものかもしれない。
それは、そこに在ることを伝えるためのものかもしれない。
離れていても、近くにいても。
ここに、いるよ、と。
もしも、世界が音であるならば。
それは、振動でありバイブレーションのようなものかもしれない。
それは、春一番に揺れる綿毛のように。
それは、薫る風にそよぐ小枝の葉のように。
それは、鈴虫の音になびく枯れ葉のように。
それは、手のひらで溶ける雪のように。
それは、動いていることが、存在の証明であるように。
それは、動きを止めずに、ささやきかける。
揺れるままで、いいよ、と。
もしも、世界が音であるならば。
それは、静かな水面に広がる波紋のようなものかもしれない。
それは、同心円状に、どこまでも広がりゆく。
それは、水面を揺らしたかと思えば、すぐに流れていく。
それは、ときに別の波紋に触れ、波打ち、ゆらぎ、消えながら。
時に揺れ、時に流れ、時にうたかたのように。
いつしか、水面は静けさを取り戻す。
過去も、現在も、未来もなく。
ただ、流れていき、ただ、繰り返す。
それは、静かに諭してくれる。
そのままで、いいよ、と。
もしも、世界が音であったなら。
それは、いつか誰かと交わした言葉のようなものかもしれない。
それは、どこか懐かしいけれど、なぜか思い出せない。
それは、どこかの街角で拾われた落とし物かもしれない。
それは、ゆらゆらと揺れる夕陽に滲む暖色かもしれない。
それは、いつか父に背負われて見た風景かもしれない。
いつか、どこかで、誰かから、聞いた言葉。
赤子を寝かしつけるときの、トン、トン、という音と同じやわらかさで。
そこにいてくれて、ありがとう、と。
もしも。
もしも、世界が音であったなら。
それは、いま目の前に見える世界、そのままかもしれない。
根本理加さんのクリスタボウルに寄せて。