今日は書評を。
心理カウンセラー/セミナー講師/ベストセラー作家の根本裕幸さんの『「いつも無理してるな」と思った時に読む本』(大和書房、以下「本書」と記す)に寄せて。
1.心のメイク、あるいはペルソナ
本書は、タイトルの通り「いつも無理してるな」と感じたり、あるいは、どこか息苦しさを感じてしまうときの処方箋となる本である。
それは、心理学においては「ペルソナ」と呼ばれる「心の仮面」について書かれた本であると言える。
どういう時に、人は「いつも無理をしているな」と感じるのだろうか。
約20年(!)にわたり、のべ2万本(!)以上のカウンセリングをこなしてきた著者は、その原因をこう書いている。
20年ほどカウンセリングを続けていくなかでわかったことがあります。
自分の人生がなんだかしっくりこないと感じる原因は、心に不必要な分厚い「メイク」をしてしまっているからなのでは・・・・・・と考えるようになりました。
多くの女性は、心が「すっぴん」でも十分美しいし、もっとその美しさを引き立てるメイクもできるのに、ちょっと無理して頑張りすぎてしまっている・・・・・・。多くのクライアントさんたちとお話ししていく中で、そう気付いたのです。
本書 p.6(強調部は原文のまま)
このように本書の冒頭で述べられている通り、私たちは本来の自分から離れてしまった分だけ、無理をしていると感じるし、生き辛さを感じてしまう。
ずっと人の期待に応えて生きていたHさん、気付けば「大丈夫」と答えてしまうRさん、全部一人で抱え込んでしまうYさん、自分のやりたいことよりも「誰かのため」を優先してしまうKさん…など、本書のChapter1では、たくさんの具体的な「無理をしている」女性たちが描かれる。
それは、男性である私にとっても、耳の痛い話である。
著者が実際に出会ったクライアントをモチーフにした彼女たちの頑張り、その反面に抱える心の苦しさを読むと、似たような状況下にあった自分の心情を思い出して、胸が痛くなる。
どうして、彼女たちは、そんなにも頑張って、無理をしなくてはならなかったのだろう。
言い換えるなら、どうして、彼女たちは心に分厚いメイクを施さなければいけなかったのだろう。
本来の自分から、大きくかけ離れた仮面(ペルソナ)を被らなくてはならなかったのだろう。
Chapter1に出てくる一人一人の心に思いを馳せていると、必然的に自分自身のペルソナと向き合わざるを得なくなる。
競争心、期待、強がり、完璧主義、犠牲、アイデンティティ喪失、罪悪感、無価値観、平和主義、理想主義、思考優位。
Chapter1で描かれる11の心理は、どれもこれも読んでいて痛い。
なぜ、私はこんなにも頑張って、無理をしてしまっているのだろう?
どうして、息苦しさ、生き辛さを感じてしまうのだろう?
循環論法のようだが、その答えは冒頭に引用した通りだ。
心に分厚いメイクを施してしまっているから。
では、なぜそんな不必要なメイクをしてしまったのだろうか?
2.「自分ではない何者か」になろうとする心理
徐々に自我が目覚めてくると「親を助けたい、親の力になりたい」という気持ちも目覚めてきます。
ところが、幼い子どもは無力で、そういう思いを叶えることはできません。
そうすると、「自分には力がないんだ」と無力感や罪悪感を覚え始めることもあるのです。
(中略)
「すっぴん」では愛されないと思い込んだ子どもたちは、自然と心に「メイク」を施すようになるのです。
本書 p.58,59
全ての子どもたちにとって、親の笑顔というものは、何よりも大切なものだ。
「そんなもん要らねえよ」とうそぶき、中指立てるのは思春期以降の話しで、それ以前の子どもは、どんな犠牲を払ってでも、親を笑顔にしようとする。
これは、私も毎日子どもたちから教えられている。
ところが、ほとんどの場合、この試みは失敗に終わる。
親も人間であるので、常に笑顔でいることは難しく、また子どもの成長を願うがゆえに、躾や教育のために怒らざるを得ない場面も、当然あるだろう。
(そういう場面ではないのに、怒ってしまう私の未熟さも日々教えられているが、それには触れないでおこうと思う)
それを重ねていくうちに、子どもたちは「こうするとお母さんは喜ぶ」「こう言うとお父さんは嬉しそうにする」というのを、本能的に学習していく。
ある人は「いい子」になって親の言う通りにします。
ある人は「お姉さん」になって弟や妹の面倒を見ます。
ある人は「優等生」になって親の誇りになろうとします。
ある人は「自立」して親に心配をかけないようにします。
ある人は「ピエロ」になって家族を笑わせようとします。
本書 p.59
そう、「自分ではない何者か」になろうとする心理が、ここで生まれる。
そして、いつしか「何者か」をつくり出し、その仮面をかぶってしまう。
それが長くなればなるほど、自分の素顔が仮面の下で疼くようにもなるし、ずっと仮面を被っているので「どこか息苦しい」「どこか生き辛い」と感じるようになる。
親にすら愛してもらえなかった(と思い込んでいる)素顔。
私たちは成長するにしたがって、その素顔を、異性やパートナーに愛されることを求めるようになる。
親から得られなかったその欲求を、パートナーに満たしてもらおうとするのだ。
ところが、その相手もまた、同じように「愛されない自分」を隠し、仮面を被って生きてきているのだ。
なかなかその仮面を被ったまま、愛し、愛されることは難しい。
パートナーシップの難しさの一つは、ここにある。
そのメイクの下の素顔を、他人に愛してもらおうとすること自体が、無理のあることなのかもしれない。
だとするなら。
その答えは論理的に一つしかない。
そう、この誰にも見せられない、どうしようもない、この素顔を、他の誰でもない「自分自身」が愛してあげることしかできないのだ。
本書のChapter3以降は、その具体的な処方箋について書かれている。
3.自分を愛する処方箋
本書の素晴らしいのは、このChapter3であるように思う。
Chapter1で出てきた11の「無理をしてしまう心理」のそれぞれに対して、その「メイク」を落とす処方箋が提示されている。
たとえば「競争心」がネガティブな方向に出てしまっている事例に対しては、
①「負け」を認め、白旗を振る
②相手の長所や価値、魅力を認める
③相手に感謝できることを見つける
という3つの処方箋が描かれている。
こう書くと「そんなんムリ!」あるいは「そんな簡単にできない」と思ってしまうかもしれないが、それでも「そういう処方箋がある」と知っていることは、大きな違いになる。
たとえば、とてつもなく苦けれど、よく効く頭痛薬を持っていたら、頭痛になった時に「我慢する」か「苦くてもいいから飲む」という選択肢を持つことができる。
これが、大きな救いになる。
まずは、知ることで十分なのだと思う。
そして、必要になればそれを試してみたり、取り組んでみたりする場面も出てくるだろう。
11のいずれの処方箋にも共通するのだが、感じる、楽しむ、緩む、つながる…といった「女性性」と呼ばれるものが、分厚いメイクを落とす際のキーワードになる。
人は、必要なときに必要なものを、自分で感じ取るものなのだろう。
Chapter3には、そのヒントになる処方箋が詰まっている。
4.素のままで生きる
さて、そうして分厚い「メイク」あるいは「仮面」を落とした先には、どんな世界が広がっているのだろう。
本書の末尾のChapter5では、11の事例で出てきたクライアントの方たちが、分厚い「メイク」を落としていった結果、現れた変化が描かれる。
便宜上、これまで否定的に書いてきたが、「メイクを施す」ことが絶対的に悪いわけではない。
それがもたらしてくれた恩恵も、その人それぞれにたくさんあるはずなのだ。
それを受け取った上で、メイクをしてもしなくても、自由に選ぶことができるようになる。
それは親を笑顔にしようとして、背負っていた何がしかの荷物を降ろす、ということかもしれない。
素のままで生きられるようになったことで現れる恩恵を、Chapter5では詳しく描かれている。
「自分がどう思うか?」を大事にできる、自分と他人を比べて疲れなくなる、今までの行動すべてに価値を見出せる…さまざまな恩恵が、「無理をしているな」と感じていた彼女たちに訪れる。
それらはあくまで恩恵の一部であり、自分の「メイク」を落としたときの恩恵は、どんなものだろうと楽しみにしたくなる。
そんな読後感を与えてくれるのが、本書だった。