依頼されていた文章を、昨日の夜に納品させて頂いた。
ここに書くのは、自分の好きなように書いているので、もうほとんど感じないのだが、やはり「依頼されて」書く文章を納品する際は、緊張する。
それはきっと、
相手によく思われたい、といういい子ちゃん症候群だったり、
期待を裏切りたくない、という他人軸の思考だったり、
やっぱり称賛されたい、という承認欲求だったり、
反応がなかったらどうしよう、という怖れだったり、
いろんなものが噴き出てくる。
メールを作成して、送信ボタンを押すだけになってから、その下書きメールを削除して、もう一度推敲してみたり。
句読点の位置や、助詞を変えてみたりしたり。
自分でもナーバスになっているな、と分かっていながら、それでも最後まで化粧を施す。
逡巡して逡巡して、ようやくえいっ、と送信する。
もうちょっとスマートにやりたいなと思いながら、こればかりは慣れないのかもしれない。
一息ついて、ようやく脱稿した実感が湧いてきて、少しずつ弛緩していく。
と同時に、送った早々から、相手の方はもう読んだのだろうかとソワソワしだす。
やはり、怖いのだ。
その怖さもまた、慣れることはないのかもしれない。
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頼まれごとは、試されごと。
そんな名言を思い出す。
目標設定が苦手な私にとっては、依頼されるということはありがたいことだ。
それでも、いや、それだけに、怖いものだ。
原理的に考えれば、期待に応えられるかどうかは、相手の範疇であり、それを自分がコントロールしようとすること自体、おこがましい。
ベストを尽くして、もしも期待外れだったならば、単に実力不足か、もしくはアンマッチなだっただけの話で、いずれにしてもまた次につなげればいい。
…と、頭では分かってはいるんだけれど、なかなかそう割り切ることができない。
それだけ、私にとって「依頼」「頼まれごと」というのは、大事なものなのだろう。
とりあえず、これで一通りの依頼が終わり、締切から少し離れることができそうだ。
あとのことはお任せすることにしよう。