都心部、月末、金曜日、夕方、雨。
渋滞する要素をすべて詰め込んだようで、遅々として車は進まなかった。
地下鉄で行くこともできたが、コロナ禍の下で車移動が慣れてしまったせいか、そのまま車で行ってしまおうと思った。
人間の習慣というのは、大きいものだ。
また、赤信号に引っかかった。
気づけば、スマートフォンから流れる音声メディアも、コンテンツのストックが尽きたようだった。
久しぶりに、車載のオーディオのボタンを押してみた。
…ワンボールツーストライクからの、4球目…いま、セットポジションに入りました…
そうか、今日の中日は東京ドームで巨人戦だった。
コロナ禍で開幕が遅れ、当面は無観客での実施となったが、それでも球春が来たことは喜ばしいことだ。
そこにあるはずの歓声と応援歌はなく、球音と選手の掛け声だけが響く。
今日はエース対決のようで、無得点で試合が進んでいるようだ。
まことに不本意ながら、近年低迷を続ける我が中日ドラゴンズ。
すべてが異例のシーズンにおいて、どのような戦いを見せてくれるのだろうか。
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山王という名の交差点を通る。
かつて、中日が本拠地としていたナゴヤ球場があった場所だ。
見覚えのある高架下の風景。
父に、よく野球観戦に連れてきてもらった。
この近くにある「ナゴヤ球場前」という駅から、歩いてすぐ。
改札を出て歩く高架下が暗くて、少し怖かったのを覚えている。
その「ナゴヤ球場前」駅も、いまは「山王」と名を変えてしまった。
ラジオから流れる実況中継に意識を戻すと、まだ無得点が続いていることを伝えていた。
小さな私もまた、ナゴヤ球場で父と観戦していたような気がした。
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山王も通り過ぎ、ようやく名古屋駅周辺にやってくる。
かつての幼い私にとって、名古屋駅に車で来るというのは特別なことだった。
名古屋駅から私鉄で30分ほどの地方都市で生まれ育ったこともあるが、名古屋駅に行くのは専ら電車に揺れられ、だった。
父や母と名古屋に車で訪れた記憶は、数少ないように思う。
一度、姉か誰かのお祝いのときだっただろうか。
父の車で家族で名古屋駅に来て、食事をした記憶がある。
小さい頃の記憶が薄い私にしては、めずらしくそのことを覚えている。
名古屋駅に車で来る、ということ自体が珍しかったからだろうか。
それが、家族が揃って笑顔だった記憶だったからだろうか。
それは、よく分からない。
それでもその帰りに、地下の駐車場から出た父の車の窓から、居並ぶビルの明かりを眺めていたのを、ぼんやりと覚えている。
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ラジオから流れる投手戦は、まだ続いていた。
あの頃の小さな私も、エースの力投に声援を送っているのだろうか。
この大きな高架下を過ぎれば、もうすぐ名古屋駅だ。