長渕剛さんの名曲、「しゃぼん玉」。
物心ついたころに、テレビドラマで長渕さんご本人が、やくざの役を演じていたのを覚えている。
調べてみたら、そのドラマ「とんぼ」(これも名曲だ)が放映されたのが1988年、私が8歳のときらしい。
さすがに8歳では、そのやくざ役は「こわそうな人」くらいしか印象になかったが、その後、私も人並みに中二病を患い、長渕さんの曲を好むようになった。
破れた夢、男の友情、内に込めた情熱、どうしようもない男の愚かさ、弱さ、未練…そのどれもが、男として色っぽいのだ。
姉二人はまったく理解を示さなかったが。
男が憧れる男のセクシャリティというものに、女性は興味を示さないのかもしれない。
面白いものだ。
ベストアルバム「いつかの少年」を何度も聴いていたのを思い出す。
伸びのある声で哀愁たっぷりに切々と歌われる、「巡恋歌」「順子」が収録されたDisk-1。
焼酎でうがいをして自ら声帯を焼き切ることで得た、しゃがれ声で歌われる、「とんぼ」「しゃぼん玉」「乾杯」など珠玉の名曲が収録されたDisk-2。
そして、のちの肉体改造による、パワフルなライブパフォーマンスの萌芽が見える「Captain of the Ship」などが収録されたDisk-3。
Disk-2を、よく聴いた。
前述の「男のセクシャリティ」が、存分に味わえるからかもしれない。
「しゃぼん玉」は、負けた男の哀愁、ひいては男のカッコよさが滲み出ている。
「博打打ちとしての器は、負け顔に出る」というが、似たようなものかもしれない。
歌詞の一つ一つのフレーズに滲み出る、男の負け顔。
それはすなわち、男の色気なのかもしれない。
一般的に男性は競争を好む。
優秀でなければ、強くなければ遺伝子を残せない名残なのだろうか。
勝って、勝って、勝ち続けなければ、存在意義を失う。
昔であれば競う対象が腕力、武力であったものが、年収や社会的地位に変わっていったのだろう。
男性は、そんな競争の中で、今日も切磋琢磨する。
ところが、競争に敗れた男に「色気」が宿るのは、なぜなのだろう。
いや、その「色気」は男が魅力的に感じるものだから、女性にとっては違うのかもしれない。
「しゃぼん玉」を聴いていると、そんなよしなしごとを考えてしまうのだ。