さて、断酒630日目である。
月数にすると、もう21か月目に入ったと思うと、感慨深い。
心身面では、特に記す変化もなく、淡々としている。
断酒をして、夏のビール欲は「ノンアルコールビール」で紛らわすことができると知ったが、そもそも「ノンアルコールビール」を飲むことも少なくなった。
ウィルキンソンなどの炭酸水、もしくはお茶で十分になってしまった。
不思議なものだ。
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そういえば先日、久しぶりに会った方との会話が、少し面白かった。
「そういえば、まだ解禁してないんですか?」
「ええ、まだ飲んでないですねぇ」
「えぇ、まだ続いているんですか…?いつまで続けるんですか?」
「いや、特に決めてないですけど…いつまででしょうね」
「へえ…もうずっと飲まないつもりなんですか?」
「絶対飲まないって決めてるわけじゃないですけど…先のことは、分かんないですよね」
「決めてないなら、また今度飲みにでも行きましょうよ」
「いまは飲もうとは思わないんで、とりあえずは遠慮しときますわ」
「ふーん、そんなもんですか…でも、そもそも何で酒を断ったんでしたっけ?」
「うーん…なんでだろう…断酒を決めた日と場所は覚えてるんですけどね。近所の川のカメに、子どもとエサをやりながら、『あ、酒、やめてみよう』って、ふと思ったっていう」
「そんなもんで、1年半以上もやめれるもんなんですかね」
「いや、実際そうなんです。『なんで?』って言われると、なかなか困っちゃう」
「そうなんですか。なんででしょうねぇ…」
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考えれば、不思議なものだ。
断酒をしようとおもったのも、確たる目的があってしたわけではない。
カメにエサをやっていたら、何となく、ふと、である。
終わりをいつまで、と設定したわけでもない。
それがどこにつながっているのかも、分からない。
けれど、ふと、そう思ったことに従っただけだ。
理由は、いつも後付けだ。
なぜなら、そこに並べられるすべてのメリットの裏側に、等価値のデメリットが存在するからだ。
「八方美人」と、「社交性」のように。
「慎重さ」と、「臆病さ」のように。
「晴天」と、「干ばつ」のように。
「人生最大の悲劇」が「人生最大の喜劇」にもなるように。
陰陽が支配するこの世界に、白黒一色で塗りつぶせるものなど、ありはしない。
そのどちらを選ぶのかは、最終的には「ふと」としか言いようがない気がする。
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目的も、終わりも。
そのいずれも、定めなくてもいいのかもしれない。
そのまま、伸びやかに、揺蕩うように、心安らかに。
たた、今日この日を。
それでいい。