「ほおずき、全部出ちゃったんですよ。すいませんねぇ。なしでよければ、その分値引きしときますが」
構いません、と答えると、その年配の女性は手際よく仏花を白い紙で包んでいく。
お盆にほおずきはつきものだが、さりとて毎年利用しているこの店以外の生花店を探すのも億劫だった。
そのあたり、ルーティンワークのように同じ店に通うのを好む、男性的といえるのだろうか。
「出ないときは、全く出ないんだけどね。今日みたいに朝から全部出ちゃう日もあるし、ほんと、季節ものは難しいね」
今年はコロナ禍で、みな遠出せずに墓参りでも、という時流なのだろうか。
それだけ、生ものの仕入れは難しいということだ。
昔、クリスマスケーキと年末のカステラの発注数で頭を悩ませていたことを思い出す。
売り上げの大きい季節商材は、それだけデッドロスのリスクと隣り合わせだ。
ほおずきのない仏花を受け取り、車に戻る。
今日は、朝からおかしな日だった。
出がけにぽつぽつと雨足が下りたと思ったら、すぐに土砂降りに変わった。
道路脇の排水溝があふれるくらいの降雨量の雨は、いかにも夏らしい。
今日は墓参をやめておこうかとも思ったが、すぐに止むだろうと思い、そのまま車を走らせた。
果たして、墓に着くころには雨は上がって、雲の隙間から晴れ間も見えるようになった。
相変わらず多いヤブ蚊を払いながら、墓の掃除をして、仏花を手向ける。
お盆らしく、多くの墓参客が境内にはいた。
ほおずきのだいだい色が、並んでいた。
掃除を終え、線香に火をつけ、手をあわせる。
息子は、「お願いごとをしてもいいの?」と聞いてきた。
ああ、いいと思うよ、と答えると、サンタさんが、今年もプレゼントをくれますように、と祈るそうだ。
父と母も、笑っているだろうか。
誕生日、お盆、夏の終わり、高校野球、広島・長崎、終戦の日…どうにも、この時期は生と死に想いを馳せることが多くなる。
気づけば、自分自身も不惑になった。
私が、父と母の生きた歳になるまで、夏は何回めぐってくるのだろう。
何回だろうか、それを数えることにあまり意味はないのかもしれない。
けれど、この季節には、終わりを意識したくなる。
そのまま帰るのはしのびなく、少し近くの公園に車を向ける。
幼いころによく歩いた、松並木。
そういえば、前にここでセミ取りしたな。
息子にそう話しかけるが、「そう?」と素っ気ない。
退屈な道中を、なんとかDSとYoutubeで紛らわせてくれてはいるが、あと何年つきあってくれるだろうか。
少し、公園の池の周りを歩いた。
幼いころによく遊びにつれてきてもらった風景が、広がっていた。
気づけば、青空が見えていた。
空の青さは、祈りを捧げたくなる。
一雨降った後の風は、どこか秋の気配を孕んでいた。
いつも煩いはずの蝉の声は、不思議とあまり聞こえなかった。