父方の祖父は、満州で兵役に就いた経験があったと聞く。
聞く、と書いたのは祖父以外から聞いただけであり、祖父本人から直接その話を聞いたことはなかった。
いまから、ほんの7,80年前のことである。
誇らしげに語ることも、凄惨さを伝えることも、祖父は選ばなかった。
他の親族に対してどうだったかは分からないが、私に対しては、その経験に対して沈黙という態度を取ってくれた。
先の大戦でも、その前の日露戦争でも、親しい者を亡くしていると聞いたことがある。
祖父がどのような悲しみを背負って、半生を生きたのか、私には想像もつかないし、もう聞くこともできない。
幼い私が、地元の神社の酒樽の前で映った写真が残っている。
そこに映る祖父の目は、茫洋としながら、深い悲しみと、諦念が感じられる。
その瞳に、写真を眺めるたびに引き込まれそうになる。
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祖父は、語らなかった。
それは、時代が規定する「男は黙すべし」という価値観からきているのかもしれないし、辛く悲しい経験ほど親しい人に話せなかったのだろうか。
いまとなっては、分からない。
ただ、それは私を愛していたからこそ、だと考えるしかない。
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時代が規定する思考の枠、というものがある。
ほんの70年前、いまの現役世代から2世代前に、食べることも困難な時代があった。
とても悲しい出来事が、わが身の周りにあふれている時代だった。
そのような時代に生きたとしたら、腹いっぱい食べさせることが愛情表現だという思考になり、早く自立して頑張らないといけない、あるいは我慢しなくてはならない、という価値観になるのは、ある意味で当たり前なのだろう。
そんな経験をした世代に育てられた、私たちの親の世代もまた、同じである。
そして、その価値観は、受け継がれていく。
時に、それは時代の変化にそぐわなくなってくるが、なかなか受け継いだ価値観というのは外しがたいものだ。
決して、だれもが進んでそうしようとしたのではなかったのかもしれない。
そう考えると、悲しく、また胸が締め付けられる。
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仕事、家族、お金、性、人間関係…あらゆる関係において、私たちは親から価値観を引き継ぐ。
ときに、それが時代や自分の生き方にマッチしなくなり、人は苦しむ。
結局のところ、新しい世界というのは、いつだって親の価値観の映し出す幻影を振り払ったところにある。
それは、そうなのだが。
その親自体が、その価値観を「誰から」「どうして」引き継いだのか、を考えると、どうにもやりきれなくなる。
ほんの、7,80年前、いまとは全く違う空が、広がっていた。
そう思うと、私を縛る、この不自由な諸々の価値観が、脈々と受け継がれてきた愛のあかしなのかもしれず、どうしようもなく、いとおしい。