大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

咲く、長月。

日中の外気が、明らかに変わった。

夏のうだるような、思考が止まるような熱気はそこにはなく、どこか芯のない暑さだった。

雲が、出ていた。

明日からしばらく、天気は崩れそうだ。

見慣れぬ色が、目に留まった。

その場所は、昨日しおれた小さな花弁があった場所だった。

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この色は、夏の色ではない。

秋を、感じさせる。

小さな小さな、秋の挨拶。

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たしかに、昨日まではなかったはずだ。

そして、昨日はここに、もの哀しくしおれていた花弁があったはずだった。

なぜだろう。

わずか一日で咲いたのか。

それとも、昨日見た、あの優しい青色の花弁は、咲きかけだったのか。

だとしたら、なぜ私は枯れそうな花弁だと思ってしまったのだろう。

ぐるぐると思考はまわり、カメラを抱えたまま立ち尽くした。

どちらでも、いいような気がした。

もしも、枯れる花弁が内面の投影であるならば。

それを、感じたかったのだ。

それは、否定すべきものでも、修正すべきものでもない。

ただ、世界をそう見たかった。

ただ、そう感じたかった。

だれでもない、自らのこころで。

それだけのことだ。

そこに、意味も、善悪も、カルマも、痛みも、何もない。

いや、それらがあってもいい。

ただ、そう感じたことを否定しない。

ただ、そのようにいる。

ただ、あるがままに在る。

今日は、咲いていた。

紫色の、花弁。

秋の、訪い。

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咲く、長月。