大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

書評:根本裕幸さん著「ギリギリまで我慢してしまうあなたへ『逃げる技術』」に寄せて

今日は書評を。

心理カウンセラー/セミナー講師/ベストセラー作家・根本裕幸さんの新著「ギリギリまで我慢してしまうあなたへ『逃げる技術』」(徳間書店、以下「本書」と記す)に寄せて。

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1.「逃げる」とは何か?

数年前に流行ったテレビドラマに、「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルのドラマがあった。
漫画が原作で、新垣結衣さんが主演のドラマだったと思う。

そのタイトルを聞くと、少しドキリとしてしまうが、本書に書かれていることは「逃げるは恥でもないし、役にも立つ」とでも言えようか。

このタイトルにドキリとしてしまうこと自体、「逃げる」ということへのネガティブなイメージを端的に表しているように思う。

それは軍国主義の名残なのか、それとも武士道の残り香なのか分からないが、「逃げる」ということに対して、一般的にはあまりよいイメージはないように思う。

某国民的大ヒットの海賊漫画に出てくる「背中の傷は剣士の恥」ではないが、正々堂々、正面切って、やり遂げることに美徳を見出す風潮は強い。

しかし、本書の中で「逃げる」ということを、このように定義している。

 私は逃げるということを「その場から一歩引くこと」と解釈しています。

 それは決して弱いわけでも、卑怯なわけでもありません。時に戦略的に必要な手段であり、気持ちを整えたり、視野を広げたりなどの効果も見込まれる方法です。

 また、逃げるが勝ち、という言葉もありますが、すでに述べた「競争心」や「犠牲」「期待に応える」などの状況から一歩引くことは、自分を必要以上に追い詰めないためにも重要なことと言えるでしょう。

 つまり、「逃げる」という選択肢を持つことは、自分や自分の大切な人たちを守るために重要な戦略の一つであり、また、逃げることで態勢を整えることができるのであれば、むしろ前向きな選択になるケースだってあるのです。

 

本書 p.62(強調部は本文のまま)

「逃げる」ということを、著者はあくまで「戦略的」な一つの手段としてとらえている。
一度身を引いて、全体を見渡し、態勢を整えてから、また仕切り直しをする。

それはあくまで一つの手段であり、そこに否定的な価値判断はなく、むしろ「前向きな選択」になることさえあると述べる。

考えてみれば当たり前のことで、かのユリウス=カエサルにしたって、呂布奉先にしたって、ナポレオンにしたって、織田信長にしたって、ずっと勝ちっぱなしというわけでもない。

時に訪れる不利な状況に、一時撤退したりしながら、大局を見ながら戦況を整えていった。

歴史に名を残す彼らでさえ、「逃げる」ことを厭わなかった。
「逃げる」とは、著者の言う通り「自分や自分の大切な人を守る」ために必要な一つの手段であり「前向きな選択」といえる。

2.逃げられない人たち/なぜ、逃げられないのか?

さて、著者の述べるところの「逃げる」ことの積極的な意味を確認したが、では私たちは何から逃げられないのだろうか?

まさかローマ軍から、というわけでもない。

それは、人の心が執着しているもの(あるいは人)である。

本書の中には、「逃げられない人たち」の例がたくさん出てくる。

大事なプロジェクトを任され、仕事から逃げられない女性。
赤字の店舗とその従業員を何とかしようする経営者の男性。
暴言を吐くモラハラ夫から離れられない女性。
国家資格を取るためにと、専門学校とバイトと勉強と頑張りすぎた女性。
社内の不倫相手とどうしても縁が切れない女性。

…などなど、実に多くの「逃げられない人たち」の具体的なケースが描かれる。

それは、延べ2万本(!)以上のカウンセリングの現場で、著者が出会ってきたクライアントの方たちの姿であり、そしてまた、本書を読んでいる私の鏡でもある。

彼ら、彼女らは、自らの心と身体の限界を超えてまで、頑張ってその場から逃げようとしない。

なぜ、そこまでして逃げられないのか?

物理的に、両手両足が鎖で縛られているわけではないのに、どうして逃げられない(と思い込んでいる)のだろうか?

本書は、その「逃げられない」理由について、心理的なアプローチから12のパターンについて説明がされている。

期待に応え続けようとする/思考的過ぎる/罪悪感/意地とプライド/我慢する癖/自分より相手を優先する/理想主義/犠牲/他人に嫌われたくない心理/正しさの罠と正義感/競争心/燃え尽き症候群…
どれもこれも、聞いていて耳の痛い話ばかりではある。

けれど、その一つ一つの心理について説明を読んでいくたびに、私たちは何か物理的に拘束されて逃げられないのではなく、自らの内面の問題によって、自分を縛っているということに気づかされる。

本当は、もっともっと自由でいい。

 私たちはいつでも逃げられるし、やめてもいいし、負けてもいいのです。

 つまり、私たちは「自由」なのです。

 「逃げられないような気がする」とか「逃げてはいけない気がする」だけで、ほんとうはいつでも「逃げること」は可能なのです。しかもそれは、あなたの心の中で決断すればいいことです。

 

本書 p.214

3.「逃げる」とは技術である

ここまで「逃げること」について見てきたが、では具体的にどうしたら「逃げられる」ようになるのか?ということについても、本書は答えている。

すでにそのタイトルにある通り、「逃げること」とは「技術」であり、それは後天的に習得可能なものだ、と。

 そこでお気づきかもしれませんが、「逃げる技術」というのは、その名の通り「技術」、つまりスキルなのです。私はよくクライアントさんに「英語や料理と同じスキルなので、磨けば必ず上達するものなのです。」とお伝えしています。

 「逃げてもいい」という新しい価値観と出会った方は、はじめは強い抵抗を感じるでしょう。しかし、今の自分の状況や心理状態などを見て、まずは頭(思考)で「逃げてもいいのだ」ということを理解されるようになっていきます。

 

本書 p.64

「逃げる」ことは「技術」であり、磨くことができる。

そして、その磨き方を、本書は何通りにもわたって解説してくれている。

距離を取る/かわす/諦める、損切り、潮目を読む、引く/別れる/人に頼る/辞める/撤退する・退却する/選択する…などなど。

それらは、前項で述べた「逃げられない心理的な理由」に対する、処方箋でもある。

「逃げる技術を磨く」といえども、実のところ、やるべきことは「(逃げられないと思い込んでいる)自分の観念と向き合う」ことである。

それは、負けを認める、人に頼るなど、いままで「逃げずに頑張ってきた」生き方をしてきた人ほど、認めたくない生き方に見えるかもしれない。

けれども、大丈夫。
それは、「技術」なのだから。

必ず、後天的に身につくものだと本書は教えてくれる。

4.新しい価値観に触れ、自由に生きるために

「逃げる」とは、今いる場所を一度引いて俯瞰して眺めてみること。

新しい場所で新しい価値観に触れること。

そうやって大局を見たうえで、「自分はどうしたいのか」を冷静になって考え、感じてみること。

その自由は、いつだって私たちの手のなかにある。

それを一歩引いて見つめることこそが、「逃げる技術」を獲得することになり、その結果、あなたはより広い世界と出会い、今より多くの選択肢を持つことができます。

つまり、「逃げる技術」はあなたに「自由」を与えてくれる技術と言えるのです。

そのためには自分が良くも悪くも「井の中の蛙」であることを自覚する必要があるかもしれません。

 

本書 p.215

世界を広げ、自分が「井の中の蛙」であることを知ること。

そうしたとき、はじめて私たちは選択することができるようになる。

「大海」に繰り出していってもいいし、あえて「井の中の蛙」に戻って「空の青さを知る」ことをしてもいい。

いずれにしても、自由に生きられる、ということなのだろう。

そんな「逃げる技術」を、本書は教えてくれる。