急な所用ができて飛び乗った社用車は、普段あまり乗っていなかった軽自動車だった。
けれど、どこか、懐かしい気がした。
9月に入って、曇り空と癇癪のように降る雨の日が増えた。
その日もまた、分厚い雲が空を覆っていた。
エンジンをかけ、車を出す。
あまり乗っていない割には、運転しやすい感じがした。
陽射しはないものの、車内はむっとするような暑さがあった。
それでも、灼けるようなシートと、握れないくらいの熱さのハンドルだった8月を思えば、季節は流れるものだと思う。
冷房の操作がぱっと見た感じでは分からず、信号待ちまで我慢することにした。
窓を開けようとした。
ふと見たドアの内側には、操作しようとしたパワーウインドウのスイッチはなく、代わりに手動式のハンドルが、そこにはあった。
=
久しぶりに見た、レギュレーターハンドル。
ずいぶんと、懐かしい心地がした。
その懐かしさが、父の車の記憶だと気づくのに、しばらくかかった。
父が乗っていたセダンの窓もまた、このレギュレーターハンドルだった。
車種も正確には覚えていないが、確か、そうだった。
私はそのレギュレーターハンドルを「くるくる」と呼び、後部座席でくるくると回して、渋滞など暇なときの手慰みにしていた。
茶色系統の、内装だったように思う。
あのころは、高速道路で100キロを超えると、「キンコンキンコン」と警告音が鳴ったものだ。
いつの間にか、それらの設備も変わっていった。
レギュレーターハンドルは、パワーウインドウに。
100キロを超えても、警告音は鳴らなくなった。
日に灼けた肌が、いつの間にか剥がれ落ちていくように、いつそれが変わったのか、正確に思い出すことは難しい。
=
あまり長距離の旅行の記憶がない。
夏に、県内の海水浴場に行くときのドライブが、楽しみだったのを覚えている。
あとは、ごくたまに電車ではなく車で、ナゴヤ球場へ行ったことか。
なぜ、乗り物の揺れというのは、あんなにも眠気を誘うのだろう。
せっかくのドライブなのだから、起きていようと必死に眠気と戦っていたことを思い出す。
くるくると、ハンドルを回しながら。
記憶は、どこか過ぎ去った時間の一点ではないような気がした。
いまも、幼い私はそこで「くるくる」を操作していそうな。
=
その懐かしき「くるくる」を回して、窓を開けた。
車内に入ってくる外気は、生温かったが、どこか秋の匂いがした。
ぽつり、ぽつりとフロントガラスを雨粒が叩いた。
ほどなくしてその雨粒は滝のようになった。
どうも、ここのところの雨は風情のない降り方をするようだ。
私はまた「くるくる」を回して、窓を閉めた。