赤トンボが舞っていた。
遠くで、ツクツクボウシが歌っていた。
川沿いを歩く、秋の夕暮れ。
音と、色。
そして、匂い。
季節を感じるのは、そんなところだろうか。
不意に、野太い羽音が、通り過ぎた。
前方を見遣ると、丸々とした黄色と黒の腹が見えた。
危険を知らせる、その色。
雀蜂だ。
秋が深まるにつれ、気が立ち獰猛になってくる。
大丈夫、何もしない。
そう心の中で呟きながら、その黄色と黒の横を足早に通り過ぎる。
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蝉、トンボ、カマキリ、ダンゴムシ、カナブン、蝶…
いろんな昆虫を捕まえていた幼い私も、蜂だけは苦手だった。
人を刺すことが、その理由だったのだろう。
加えて、あの凶暴な目つき、そして鋭くシャープな身体のラインが、どうにも他の虫とは一線を画していた。
蜂だけは、だめだ。
たいてい、近所の公園にいるのは足長蜂くらいだったが、時折見かける雀蜂には、その大きさに恐れおののいていた。
あるとき、家の近くの空き地で遊んでいたことがあった。
何人かで遊んでいたような気もするし、一人で遊んでいたような気もする。
その空き地は、材木置き場として使われており、いろんな材木が野ざらしで置いてあった。
いろんな虫が棲み処とするには、うってつけの環境だったのだろう。
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それに気づいたときには、もう遅かった。
びっくりするくらいの足長蜂が、その羽音とともに私を取り囲んでいた。
すぐに、刺された。
何か所か続けて。
火の出るような痛み。
刺されるというより、ものすごく熱い火の棒を押し付けられた火傷のような。
遊んでいて知らないうちに、足長蜂の巣に近づきすぎたのか、それとも巣を触ってしまったのか。
状況から察するに、そのどちらかだろうか。
小さな私は、泣きながら家へ飛んで帰った。
運よく家にいた祖母に、「キンカン」という塗り薬を処方してもらったように覚えている。
そんなこともあって、蜂とその羽音というのは、私にとってある種のトラウマのような痛みととともに記憶されている。
いまでも、その羽音を聞くと首がすくむ。
火傷のような痛みを思い出し、その色を怖れる。
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こちらが何もしなければ、蜂たちは自ら刺してくることはない。
たいていは、彼らのテリトリーを犯して、近づきすぎたときだ。
幼い日の、私のように。
痛みと、怖れ。
もしも、そうしたものを感じるのだとしたら。
それは、何かに近づいていることの証なのかもしれない。
その何かは、蜂かもしれないし、もしかしたら蜂蜜かもしれない。
甘い甘い、蜂蜜。
もし、そうだとしたら。
痛みと怖れ、それらを感じることも、悪いことでもない。