大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

寒露、滴る雨粒に。

朝、家を出た瞬間に「しまった」と思う。

前日の夜から降りしきる雨。

半袖では、もう冷える気温になったのだ。

家に戻り、上着を引っ張り出して車に突っ込む。

時候は、秋分から寒露へ。

朝晩の冷え込みに、冷たい露が降りる。

季節のめぐりは、いつも正確だ。

ここのところ、外出するときに、よく雨に降られるような気がする。

予想通り、市内の道路は混んでいた。

やはり、肌寒い。

車内のエアコンのスイッチが、最も強い冷房に合わさっていた。

夏の、名残のような気がした。

前日に娘に書いた日記の中で、

「きょうは とうきょうのおきゃくさんと パソコンでおはなししたよ」

と書いたことを、ふと思い出す。

物理的な距離のある誰かと、音声と画像を通じてコミュニケーションを取る。

考えてみれば、私が子どもの頃にはSFの映画やアニメの中での出来事だったはずだ。

それが、いまや当たり前のように皆が使っている。

テクノロジーの、呆れるような進歩の速さに、眩暈がするようだ。

いつかの日か、人は。

三次元の肉体の老いや病すらも克服し、データの海に揺蕩う生き物になるのだろうか。

怖い気もするが、その世界を見てみたい気もする。

= 

ときに、どうでもいいような用事をつくる。

まるで効率的ではないアポイント、無駄な遠出、意味のないこと。

液晶の画面から離れて、空の見えるところに身を置く。

今日の空は、分厚い雲に覆われていた。

秋の空は、変わりやすい。

ちょうど一台だけ空いていたコインパーキングに車を停めて、傘を差した。

ぱらぱらと頭上を叩く雨の音が、心地よかった。

コミュニケーション、移動、お金…いろんなものがテクノロジーによってアップデートされ、形を変えていく。

けれど、数世紀前の人も、いまと変わらず傘を差して雨音を聴いていた。

「雨」はずっと変わらず、アップデートされていない。

それが、どこか嬉しく、どこか物憂げで。

どうでもいい用事でもなければ、そんなことも感じなかったのだろう。

この傘に映る雨粒一つ一つに、愛を与えられたら。

世界はもっと美しくなるのだろうか。

うっかり水溜まりに入って濡れた靴にげんなりしながら、そんなことを思う。

いや、そうではなくて。

この雨粒一つ一つが、世界から惜しみなく注がれていた愛だとしたら。

それを受け取れたら。

真実は、きっとそちら側なのだろう。

雨足は弱まり、頭上も少し静かになる。

夏の雨は消え際の情事を想起させるが、秋のそれはどこか冷たく、別れを想わせる。

ショパンのあの曲を、聴きたくなった。

f:id:kappou_oosaki:20201008152638j:plain

滴る雨粒に。