朝晩の空気のぴんとした冷たさに、冬の訪いを覚える。
もう朝晩の車の中は、暖房をつけないと冷え込む日が増えてきた。
霜降も末候、「楓蔦黄、もみじつたきばむ」の候。
楓蔦黄、もみじつたきばむ。
その名の通り、もみじやつたの葉が色づくころ。
なんとも美しい日本語だと思う。
空を見上げ、雲に想い、雨を愛で、雷に慄き、木に触れ、鳥に習い、虫を聴き、草花に心寄せる。
季節を愛でる、その行為に二十四個、あるいは七十二個の美しき名がつけられていることを想う。
1年365日も、72で割ればわずかに5日ほど。
その美しい名がつけられた時候も、わずかに5回眠りに就くだけで、過ぎ去ってしまう。
季節のめぐりの、なんと早くて、そしてはかないことよ。
されど、そのようにして流れてゆくからこそ。
動いているからこそ、生きているともいえる。
永遠と、瞬間は、離れているようでいて、ほど近く。
寂しさと、つながりが、双極のように見えて一卵性であるように。
かなしさと、いとしさが、おなじスペクトルの上にあるように。
蓮の花が、汚泥の中に咲くように。
だから、今日も色づく木々に心寄せ、澄んだ空を見上げる。
その遥か彼方を、見つめながら。
朝の空も、夕方の空の色によく似て。