大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

楓蔦黄、なんと美しき日本語かな。

朝晩の空気のぴんとした冷たさに、冬の訪いを覚える。

もう朝晩の車の中は、暖房をつけないと冷え込む日が増えてきた。

霜降も末候、「楓蔦黄、もみじつたきばむ」の候。

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楓蔦黄、もみじつたきばむ。
その名の通り、もみじやつたの葉が色づくころ。

なんとも美しい日本語だと思う。

空を見上げ、雲に想い、雨を愛で、雷に慄き、木に触れ、鳥に習い、虫を聴き、草花に心寄せる。

季節を愛でる、その行為に二十四個、あるいは七十二個の美しき名がつけられていることを想う。

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1年365日も、72で割ればわずかに5日ほど。
その美しい名がつけられた時候も、わずかに5回眠りに就くだけで、過ぎ去ってしまう。

季節のめぐりの、なんと早くて、そしてはかないことよ。

されど、そのようにして流れてゆくからこそ。

動いているからこそ、生きているともいえる。

永遠と、瞬間は、離れているようでいて、ほど近く。

寂しさと、つながりが、双極のように見えて一卵性であるように。
かなしさと、いとしさが、おなじスペクトルの上にあるように。

蓮の花が、汚泥の中に咲くように。

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だから、今日も色づく木々に心寄せ、澄んだ空を見上げる。

その遥か彼方を、見つめながら。

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朝の空も、夕方の空の色によく似て。