昨日から二十四節気の一つ、「小雪」に入った。
北風の冷たさが日々はっきりと感じられ、その字の通りきたぐにでは雪がちらつくころ。
まだ寒さはこれからだが、それでも暦は進んでいく。
七十二侯では「虹蔵不見・にじかくれてみえず」、曇り空が多くなり、日差しも弱まるため、虹を見ることが少なくなるという。
そういえば、晴れていたかと思えば、いつの間にか雲が広がって、寒空になっていることが増えたように思う。
季節のめぐりは、殊更に正確だ。
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そんな「小雪」の時候だが、歩いていると思いのほか、咲いている花に目が行く。
木の葉は落ち、モノトーンの世界だと思っていたが、そうでもないようだ。
「それ」を探して道を歩いていると、「ある」ものだ。
それは、春のような暖色の花であったり。
路地に咲いていた、黄色の花束のようであったり。
気高く咲いている花であったり。
あるいは、優しく包み込むように咲いていたりする。
冬は生命が息絶える季節、というのは、一面ではそうかもしれない。
息子の飼っていたカブトムシも、残念ながら最後の一匹が力尽きたように。
けれど、そこに咲く花も、ある。
歳を重ねると、季節の味わいが深くなる。
前に、この時期にはこんな花が咲いていた、とか。
こんな色の空や、あんな形の雲を、この時期に見た、とか。
そんな折々の美が、その時々に訪れた土地や、出会った人、あるいは何気なく話したことなどと一緒に、思い出される。
今日見た花たちも、またいつか、小雪の時期に思い出すのだろうか。
そう思うと、この目の前を流れていく季節の時間とともに、通奏低音のように流れていく永遠という時間に、想いを馳せたくなる。
時に小雪、それでも花は咲く。