実家で暮らしていたころ。
そう、高校生くらいになるのだが。
そのころの私にとって、名古屋市内というのは、大都会も大都会だった。
東京は、もはや外国に近い感覚があったが、名古屋は身近な大都会だった。
どうも、中学生くらいのころの、「名古屋に行くのは、一大イベント」という感覚が、ずっとあったのかもしれない。
やがて高校生になり、通学で地下鉄を使うようになってから、少し慣れはしたものの。
それでも、毎朝行き交う人の多さに、自分がおのぼりさんのような感覚は、ずっとあった。
それにもまして、名古屋市内の道路の大きさに、めまいがしたものだ。
実家の周辺には、片側1車線の道がほとんど。
対面通行の道路も多かった。
名古屋駅の周りの、4車線も5車線もあるような道路は、異世界のような風景だった。
エンジンや車に興味を示さなかった私のこと、なおさら都会の道路というのは、縁遠いものに思えたものだ。
ごくまれに、父とナゴヤ球場へ野球観戦に行くとき、父の車で市内を走ることがあった。
球場からの帰り道、夜更けにもかかわらず、煌々と明るい都会のビルを眺めながら、ウトウトとしていたのを覚えている。
父は、こんなにたくさん車が走っている道路を運転して、すごいな、と。
そんなことを思いながら。
やがて実家を出てからも、車を使わない生活が長かったせいか、30過ぎまでペーパードライバーだった。
就職しても、地下鉄、バスしか使わない私にとっては、市内の道路というのは縁遠いものに思えた。
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それが、何の因果か、いまは市内をよく車で走っている。
あれだけ、縁遠いと思っていたのに、分からないものだ。
リモートだなんだと言われながらも、結局出かけることが多い。
お昼に寄り道して、馴染みの店に顔を出したりすることも、主な目的ではあるのだが。
相変わらず方向音痴の私には、ナビがないと走れないのだが、いまはスマートフォンがあれば何とかなる。
便利な世の中になったものだ。
市内を走っていると、ここがこの道につながるのか、とか、この街並み好きなだなぁ、とか、流れる風景を見るのもまた、楽しい。
たまに、父と訪れたナゴヤ球場の近くの幹線道路を通る。
いまは、名鉄の駅も「ナゴヤ球場前」から、地名そのままの「山王駅」に変わってしまった。
高速道路の高架下をくぐる、その風景のどこかに。
青い帽子をかぶり、メガホンを首から下げて、父と歩く小さな私がどこかに、歩いているような気もする。
愛された記憶のかけらが、ちりばめられているような。
そんな道を、今日も走る。
冬晴れの、名古屋駅近辺。