大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

ラグビーのフルバックのように。

あれはいつだったか。

ラグビーワールドカップの日本代表の試合を、テレビで観ていたときだった。

 

強豪の南アフリカ共和国を破った快挙で興味を持ったのだから、2015年のイングランド大会のような気がする。

 

相手チームの選手がボールを持って、タッチライン際を駆ける。

もう日本のゴールラインは目前だ。

 

やられた。

 

そう思った刹那。

 

日本の赤と白のジャージの選手が、猛然と距離を詰めていき、強烈なタックルを見舞った。

黒のジャージの選手はタッチラインの外に吹き飛ばされ、寸前のところで日本は危機を脱した。

 

その見事なタックルを敢行したのは、フルバック五郎丸歩選手だった。

 

実況のアナウンサーが、その名とポジションを叫んでいる。

 

自チームの危機を救うプレーに興奮しながらも、そのポジション名に、私は父の記憶をたどっていた。

 

 

父は、寡黙な人だった。

 

あの時代のこと、朝から夜までよく働いていた。

休日に会社に出ることも、よくあった。

 

私が末っ子長男だったこともあり、父に叱られた記憶はほとんどない。

 

私が中学に入るころ、単身赴任に出てしまい、父が戻る頃には私が県外に進学したので家を出たので、父と暮らしたのは思いのほか、短いのかもしれない。

 

記憶の中の父は、

夜遅くに飲めない酒に潰れて帰って来る姿や、

玉のような汗をかきながら、草むしりをする姿や、

たまに連れて行ってくれた近所の喫茶店で煙草をふかしている姿や、

そんな姿が思い浮かぶ。

 

小学校の高学年の頃か、中学生の頃か。

 

課外授業か何かで、「自分の親にメッセージを書いてもらう」というような課題があった。

 

忙しい父だったが、きちんと期日までにそのメッセージを書いてくれた。

癖のある父の字で、課題の用紙が埋められていた。

 

細かい内容は忘れてしまったが、そのメッセージの中で、

 

ラグビーフルバックのように、親として見守っていきたいと思っています」

 

と書いてくれた。

 

父は、ラグビーが好きだった。

大学ラグビーで母校を応援していた。

 

当時の私は、ラグビーはルールもポジションも知らなかったが、なんとなく「フルバック」という言葉の響きがかっこよくて、嬉しかったのを覚えている。

 

 

チームの危機を救った五郎丸選手のもとに、集まるチームメイト。

それを鼓舞する、五郎丸選手。

 

なんとも、美しい光景。

 

チームの一番後ろに控え、ディフェンスラインの最後の砦。

そんなラグビーの重要なポジションを、父は親としての姿を重ね合わせていた。

 

ラグビーの、フルバックのように。

 

それが、妙に嬉しかった。

 

いま、もし息子が学校で同じ課題をもらってきたら。

私はどんなメッセージを書くのだろう。

 

やはり、ラグビーフルバックのように、と書くのだろうか。

 

なんだか気恥ずかしい気もする。

 

 

その後、ラグビーワールドカップは日本でも開催され、熱狂を生んだ。

 

いまだにラグビーのルールには疎いが、それでも試合を観戦するときは、フルバックのポジションの選手を、応援してしまう。

 

時に最後方から攻撃に参加してチャンスをつくり、

時にパントキックで陣地を挽回し、

時にチームの絶体絶命の危機を、勇敢なタックルで救う。

 

あんなふうになれるだろうか、と思いながら。

 

フルバックの選手が活躍するたび、父を想うのだ。

 

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