今日は節分、冬と春の境目。
家の外から家の内へ。
敷居を跨ぐときの、その敷居。
そんな存在が、節分なのかもしれない。
今年は124年ぶりに、2月2日が節分にあたるとのこと。
なんとなく、2月3日節分・2月4日立春というイメージが強いが、暦というものは面白いものだ。
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そんな節分、歳時記を愛でる息子は、当然のことながら豆まきに気合を入れる。
なにしろ、立春の前から雛あられと菱餅を求め、春休みから鯉のぼりを探し、11月にはクリスマスツリーを探し、師走の声を聞けば迎春飾りを求める彼のことだ。
せっかちというか、季節を先取りする風流なのか。
それはともかく、先日はりきって豆まきを行った。
買ってきた豆についていた鬼のお面をかぶって、ガオーと家を襲うところから、豆をまいて撃退するところまで。
一通り終わると、鬼役と豆役を、娘と交代して。
ごっこ遊びが好きな彼らのこと、いろんな寸劇を見せてくれた。
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ひと段落して、豆を食べる段になって。
鬼のお面をかぶったまま、息子は豆を食べている。
「オニも一緒に食べていいのか?しかも、オニは豆がキライじゃないのか?」
と私が問うと、
「いいんだよ。おにもいっしょにたべるんだよ」
と笑っていた。
私には、どこか、息子たちの世代の無意識を反映しているように思えた。
絶対悪を、つくらない。
福も、鬼も。
そもそもが、同じものから出たものの違う名前なのかもしれない。
それは、悲しみの裏に、喜びという感情が存在するように。
凍るような寂しさがあるからこそ、つながりと安心感があるように。
節分がやってきて。
桜が開き、麦が実り、ひぐらしが鳴き、草の露が白くなり。
菊の花が開き、椿が開き、水が凍り。
そしていつしかまた、節分がめぐってくるように。
陰極まれば陽となり、陽極まれば陰と為す。
そんなこととも、似ているのかもしれない。
正誤善悪、勧善懲悪。
そんな価値観に重きが置かれていた時代から、変わっていく。
すべてはひとつながりに。
ぽりぽりと、口に含んだ豆の感触が、心地よかった。
節分の日の空は、よく晴れて青く。