大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

春は、苦みと濁りと。

立春過ぎて。
日に日に、春の気配が感じられるようになってきた。

風はどこか温さを含み、朝は少しずつ早くなり。
陽は力強さを増し、夜の帳が降りるのが遅くなってきた。

不可逆な季節の流れは、いろんなことを教えてくれる。

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師走のころ、まだ薄暗かった風景も、同じ時間で既に太陽が力強く輝いている。

春の訪い。

小寒から大寒のころの、張り詰めたような空気はすでになく、どこか弛緩した風が肌に触れる。

それは、どこか透き通ったものから、濁りを見るようでもある。

春は、濁り。

春の訪れを告げる、山菜たち。
フキノトウ、タラの芽、コシアブラ、ノビル…いずれも、苦みやえぐみが特徴的だ。

その苦みが、冬の間に溜め込んだ毒気や、身体のこわばりを解いてくれると聞く。

喜ばしい春の訪れが、苦みや濁りとともに訪れるのは、おもしろいものだ。

春は、濁り。そして、苦み。

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路地のツツジも、少しずつ葉を開き、芽を伸ばしているようだ。
まだ遠いが、その花が満開になる小満のころを想う。

冬の朝の張り詰めた空気の風景もいいが、それは雪の結晶のような、無機質な絶対的な美しさなのかもしれない。

やはり、生があるところには、苦みや、濁りが必要なのだろう。

春の空には、霞がかかる。

その空の下で、厳しい冬を越えた花たちは咲く。

いのちは、温く濁った空気の下でこそ、咲く。

濁を、厭わず。

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この時期には目に付く赤に、黄色がこぼれて。