娘と息子が来年から学校で使う「リコーダー」と「水彩用具セット」が、届いたようだ。
新しいおもちゃが手に入ると嬉しいのは、いつの時代の子どもも同じようだ。
それらを開封して広げて、興奮していた。
リコーダーを見よう見まねで吹いてみたりもしていたが、なかなか難しいようだ。
どの指を押さえると、どの音だったか。
たくさん押さえると、低い音だったような気もするが、そんな記憶もあいまいだ。
「おとうは、リコーダー吹けた?」
カスカスの音に飽きたらしい娘が、聞いてきた。
「うーん、どうだったかなぁ。あんまりうまくできなかったような気がするなぁ」
「ふーん」
聞いているのか聞いていないのか、娘はまたリコーダーを吹きはじめる。
「こくごやさんすうとか、答えが決まってる教科は、割と得意だったけどな。でも、たいいくやずこうは苦手だったな。特に跳び箱とかマットとか、器械体操系は壊滅的にダメだったな」
「へえ。いま、たいいくはキックベースやっているよ」
「そうなのか。おとうはドッジボールは好きだったけど、上手くはなかったけどな」
国語にせよ、算数にせよ。
正解が決まっている勉強は、あまり意味を持たなくなるのだろうか。
Google先生に聞けば、なんでも教えてくれる世界では、博識は価値をもたなくなるようにも思う。
自ら学習を続ける機械が最適解を考え出したら、人間には何が残るのだろう。
正解の、ないもの。
遊び、身体、表現、あるいは。
ぼんやりと、そんなことを考える。
リコーダーに飽きたらしい娘は、ピアノで遊んでいた。
「おとう」
「ん」
「ピアノって、弾けた?」
「いいや。おとうのおねえが習ってたから、少し教えてもらったけど、全然だったな」
「ふーん」
ピアノを何度か弾いて、同じ場所で間違えて止まる娘。
「おとう」
「ん」
「ピアノでひきたい曲、なにがひきたかった?」
「うーん、そうだなぁ。ビートルズのレットイットビーとか、KANの愛は勝つとか、あこがれたけど…何かなぁ…」
娘は、相変わらず人の話を聞かず、ピアノを弾きはじめる。
「あぁ、乙女の祈り、かな」
また同じ場所で止まって、手を止める娘。
「おとめのいのり?」
「あぁ、おとめのいのり。おとうのおかあが、よく練習してた」
「ふーん」
意に介さず、また弾きはじめる娘。
また同じところで止まる。
母も、同じところで、いつも止まっていたように思い出す。
ぼんやりとした夜に、よくピアノを弾いていた。
記憶、情感、寂寥、恋慕。
そんな言葉にできない、蜃気楼のようにゆらゆらとしたものが、人に残されたものなのかもしれない。