大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

反対側に気づくと、早い。

真夏の強い日差しによって、最も色濃い影がつくられるように。

人生最大の不幸が、時を経ると人生最大の恩恵になるように。

子どもの悪態の裏には、信頼と愛が隠れているように。

 

ものごとには、すべて表と裏があり、陰陽あわせて世界を形づくっている。

 

これは三角形だ、と思っても、違った角度から見れば正方形になっていたり。

 

いつもと違う方向から世界を眺めることは、生きることに自由を与える。

世界の見方が変わること、それを癒しと呼ぶこともできよう。

 

自分の反対側に何があるのか。

それに気づくと、早い。

 

 

たとえば、自信のなさ。

あることに対して自信が持てないのは、そのことに対して真剣に向き合っていることを示す。

そして、ほんとうに怖れているのは、自信がないことではなく、その反対に、自分の力であり才能だ。

 

それは、自信があることや自分の手柄、実績などを周囲に吹聴する人ほど、その実、自分に対して自信がないことが多い。

 

たとえば、見捨てられることへの怖れ。

彼女にフラれることを怖れている彼は、その反対側に、彼女を見捨てることへの恐れを強烈に抱いている。

 

見捨てられる怖れと、見捨てる怖れ。

それは表裏一体であり、二人の双方が持っている怖れだ。

互いがそれに気づくと、あとは早い。

 

たとえば、不幸せを怖れるとの等量に、人は幸せを怖れる。

言い方を変えれば、幸せになりたいと思うのと同じくらいに、人は不幸でいたいと願う。

不幸でいた方が、得られるメリットがあるからだ。

 

一方だけに目を向けていると、必ず後ろ髪を引かれて、身動きが取れなくなる。

 

たとえば、加害者と被害者。

社会通念では、加害者が悪者であり、被害者は善意の上にいる。

 

けれど、被害者はその立場を利用して、加害者を責めることができる。

なぜ、あんなことをしたんですか、と。

あなたは間違っている、と。

その瞬間に、刃は逆を向き、被害者は加害者となり、加害者は被害者となる。

 

加えて、人はいったん被害者のポジションに入ると、その味をしめる。

他者からの同情や、あわれみや憐憫、かわいそうな私という、注目される立場だからだ。

 

自分が加害者と同じ地平にいることを自覚しない限り、その悲しい連鎖から抜け出すことは、難しい。

 

 

反対側に、あるもの。

それを、自覚すること。

 

そのどちらが正しい見方か、ほんとうの見方が、ということを問う必要はない。

 

ただ、その反対側があることを認めること。

 

どんな下衆な自分の中にも、何人にも侵されざる神聖な領域があり、

どんな高貴な人間の中にも、ヘドロのように悪臭を放つ側面がある。

 

そのどちらかが、その人の正体だと言い張る必要もない。

 

ただ、反対側が在ること。

それを、認めるだけ。

 

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太陽と、隣にそのたまごのような彩雲。

その反対側の空には、白い月がその横顔を見せていた。

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