母を亡くしてから、ちょうど18年が経つ。
18年前のあの日、どんな空が広がっていたのか、もう思い出すこともできない。
ただ、その日、その事実を知った日から、寂しい、あるいは悲しいという感情を断ち、まるで母も父もいなかったかのように振る舞った。
それは、あまりのショックを受け止めきれないがための、心の防衛本能だった。
寂しさを感じることもなければ、つながりを感じることもない。
悲しみのない世界は、思ったよりも灰色で、そこに喜びはなかった。
わたしの世界に、父、あるいは母という一般名詞は存在したが、固有名としての彼らは、存在しなかった。
長いこと、その名を呼びかけることすら禁じていた気がする。
呼びかけて返事がなかったら、その不在が耐えられないから。
父と母とのつながりを切ることは、自分のアイデンティティを切ることと同じだった。
糸の切れた凧のように、わたしは寄る辺なく漂っていた。
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人生で起こる問題は、往々にして見えているその事象ではなく、もっと本質的な自分の問題を問われる。
感情を切り、父と母とのつながりを切り。
それでどうにもいかなくなったとき、わたしは人に頼り、助けを求めながら、自分のこころの内と向き合うことを始めた。
深く、えぐられた傷を、ようやく癒しはじめたともいえる。
自分と向き合い、寂しさと悲しみ、痛みを感じるごとに、その分、世界は彩りを取り戻していった。
ずいぶんと、楽に呼吸ができるようになったと思う。
自分と向き合いだしてから、5年くらい経ったのだろうか。
命日に、ふと寂しさと罪悪感を、まだ握りしめている自分に気づく。
それがなくなってしまったら。
それがなくなってしまったら、母を、忘れてしまうような気がするから。
寂しさと、罪悪感で、故人とつながろうとしているのかもしれない。
愛するゆえに。
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寂しさも、罪悪感も。
人が生きる上で、なくなることはないものだ。
おそらく、どれだけ癒しが進もうとも、わたしの負った傷が、完全に消えることはないように。
それは、人が不完全であることの証左でもあり、だからこそ、生は素晴らしいものなのだが。
いや、それもどこか違うような気がする。
真実は、おそらくこうだ。
傷など、実はなかったのだ。
誰しもが、他人を傷つけることなど、できはしない。
金剛石は、傷つかない。
人は、不完全なままで、完全であることと、それはどこか似ている。