その先輩は、変な関西弁を話した。
はじめて配属された部署の、一年先輩だった。
地下の冷蔵庫を案内してもらいながら、穏やかに話しかけてくれた。
関西の学校を出たと聞いたが、その関西弁は変だった。
漫才をする芸人や、あるいはわたしが知っていた関西人の話すイントネーションから、微妙にずれた、似非関西弁だった。
けれど、その関西弁は、どこか優しかった。
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当時のわたしはといえば、Uターン就職のために戻ってきた。
けれど、卒業間際に悲しい出来事があり、いっしょに暮らす実家も、家族も失っていた。
知ったはずの土地は、見知らぬ土地になった。
帰るべき家はなく、寄る辺なくわたしは漂っていた。
なぜ、自分がここにいるのか、時折問いかけたくなった。
けれど、問いかける相手も、いなかった。
新しい環境に、重い話題。
人見知りも発動して、殊更にわたしは殻を閉じた。
家庭の事情、無愛想、無表情。
その関西弁の先輩からすると、さぞかしめんどくさい後輩だっただろう。
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すぐに、その先輩は部門の中心的な存在だと知った。
太陽のような笑顔と、人懐っこさ、そして適度な緩さ。
社内外の多くの人に慕われていた。
当時、電話の内線帳に記載されていた評語、「すべては人から」を地で行くような人だった。
あの人のためなら。
そんなことを、よく聞いた。
めんどくさい後輩のわたしにも、分け隔てなく、陽の光を注いでくれた。
淡々と、話し掛けてくださった。
「お、ええやん」
いつも、そういって、笑っていたのを思い出す。
わたしは、どんな顔を返していたのだろう。
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いつもいつも、その手を振り払うのは、受け取り下手のわたしだ。
たとえ、大切な人が、どれだけ受け取りを拒否したとしても。
次の瞬間には、何も変わらず、与え続けようとできるのに。
その構図は、いつも不均等だ。
人の善意か、隣人愛か、菩薩の光明か、あるいは無償の愛か、それとも神の恩寵か。
そんなものがあるのなら、なぜこんな目に遭わせた。
なぜ、独りにした。
なぜ、助けなかったのだ。
いつもいつも、わたしはそうやって怒っていた。
怒りは、烈火、あるいは稲妻のごとき姿だけを取るわけではない。
絶対零度の氷、あるいは極北の深海のごとき怒りもある。
何人たりとも、ここを動いてはならぬ。
ここで、このまま朽ち果てるのだ。
それだけ怒らなければ、隠し通せない、何か。
それは、何だったのだろう。
いまとなっては、よく、わからない。
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ただ、もしも。
もしも、仮に。
神さまがいるとするなら。
あんなふうに、変な関西弁を話すのかもしれない。
そんなことを、思った。
いまも、あの変な関西弁を話しているのだろうか。
もし、また会えたなら。
伝えたいと思う。
ありがとうございました、と。