大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

変な関西弁を話す神さまのこと。

その先輩は、変な関西弁を話した。

はじめて配属された部署の、一年先輩だった。
地下の冷蔵庫を案内してもらいながら、穏やかに話しかけてくれた。

関西の学校を出たと聞いたが、その関西弁は変だった。
漫才をする芸人や、あるいはわたしが知っていた関西人の話すイントネーションから、微妙にずれた、似非関西弁だった。

けれど、その関西弁は、どこか優しかった。

当時のわたしはといえば、Uターン就職のために戻ってきた。
けれど、卒業間際に悲しい出来事があり、いっしょに暮らす実家も、家族も失っていた。

知ったはずの土地は、見知らぬ土地になった。
帰るべき家はなく、寄る辺なくわたしは漂っていた。
なぜ、自分がここにいるのか、時折問いかけたくなった。

けれど、問いかける相手も、いなかった。

新しい環境に、重い話題。
人見知りも発動して、殊更にわたしは殻を閉じた。

家庭の事情、無愛想、無表情。

その関西弁の先輩からすると、さぞかしめんどくさい後輩だっただろう。

すぐに、その先輩は部門の中心的な存在だと知った。

太陽のような笑顔と、人懐っこさ、そして適度な緩さ。
社内外の多くの人に慕われていた。

当時、電話の内線帳に記載されていた評語、「すべては人から」を地で行くような人だった。

あの人のためなら。

そんなことを、よく聞いた。

めんどくさい後輩のわたしにも、分け隔てなく、陽の光を注いでくれた。
淡々と、話し掛けてくださった。

「お、ええやん」
いつも、そういって、笑っていたのを思い出す。

わたしは、どんな顔を返していたのだろう。

いつもいつも、その手を振り払うのは、受け取り下手のわたしだ。

たとえ、大切な人が、どれだけ受け取りを拒否したとしても。
次の瞬間には、何も変わらず、与え続けようとできるのに。

その構図は、いつも不均等だ。

人の善意か、隣人愛か、菩薩の光明か、あるいは無償の愛か、それとも神の恩寵か。

そんなものがあるのなら、なぜこんな目に遭わせた。
なぜ、独りにした。
なぜ、助けなかったのだ。

いつもいつも、わたしはそうやって怒っていた。

怒りは、烈火、あるいは稲妻のごとき姿だけを取るわけではない。

絶対零度の氷、あるいは極北の深海のごとき怒りもある。

何人たりとも、ここを動いてはならぬ。
ここで、このまま朽ち果てるのだ。

それだけ怒らなければ、隠し通せない、何か。

それは、何だったのだろう。

いまとなっては、よく、わからない。

ただ、もしも。
もしも、仮に。

神さまがいるとするなら。

あんなふうに、変な関西弁を話すのかもしれない。

そんなことを、思った。

いまも、あの変な関西弁を話しているのだろうか。

もし、また会えたなら。
伝えたいと思う。

ありがとうございました、と。