世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
「古今和歌集」第82段 在原業平
桜の開花が気になるのは、千年の昔も、現代に生きるわたしたちも同じようで。
咲いたかどうか気をもみ、桜の木の下を通るたびに蕾を見上げ。
咲いたら咲いたで、散り際を想い、こころを寄せ。
春夏秋冬、それぞれの季節に同じように咲く、桜以外の花も、それは同じなのだろうけれど。
どうしてか、桜に対しては情緒的になる。
開花を知らせるSNSやニュースやらが、多く流れるからだろうか。
それとも、変化と再生の春という季節の象徴だからだろうか。
小さな花弁の色そのものが、そうさせているような気もする。
あの淡いピンクの、薄桃色。
咲いていた。
よく晴れた、いつもの川沿いの道。
この淡い色には、青空の背景がよく似合う。
ふと、涙が流れた。
ずっと中指を立て、静かに怒り、反抗していようとも。
それは、いつも降り注ぐ。
変わらず、そこにある。
受け取ろうが、受け取るまいが。
ただ、そこに在った。
もう、見ないようにして素通りもできない。
見上げたまなこから、あふれた。
なぜ、そんなにも。
無数の花弁は、答えてはくれない。
ただ、風に揺れていた。
もう一度見上げれば、幾筋かの飛行機雲。
今年も、桜が咲く。