時に穀雨。
麦や稲をはじめとするたくさんの穀物に、天からの恵みの雨が降りそそぎ、それはやがて大きな実りをもたらす。
七十二侯では、葭始生・あしはじめてしょうず。
古い神話の「葦原中元」や「葦原の中つ国」にもその名が見られる、「葦」が水辺に芽吹き始める。
今日はからっと晴れたが、そういえば先週末はよく降った。
その雨空が明けると、また一段と新緑の香りが深くなったように感じる。
台風などは顕著なのだが、それがが過ぎ去った後は、澄んだ空が広がる。
大きなエネルギーの流れが、滞った空気をかき混ぜ、吹き飛ばしてくれるからだろうか。
雨が降るごとに、季節の移ろいは進んでいく。
=
仮に。
雨を、涙に置き換えてみても、同じなのかもしれない。
雨が降るごとに、季節の移ろいは進んでいく。
涙が流れるごとに、人生の航路もまた、進んでいく。
いつも岐路には、涙があるようだ。
=
涙は、不思議だ。
血液や汗に似た成分と聞くが、なぜそれは流れるのだろう。
嬉しくても、悲しくても、悔しくても。
こころが動くと流れる、涙。
涙は、不思議だ。
成分が血液に似ているとするなら、瞳から流れているのは、自分自身か。
それは、言えなかった言葉や、抑圧してしまった感情、あるいは伝えられなかった想いを、洗い流してくれる。
ときにやさしく、ときにゆっくり、ときにあたたかく。
ときに、激しく。
それが流れた後は、凪のように静かな場所に流れ着く。
あたたかで、やさしく。
それでいて、どこか懐かしい、あの場所。
それは、涙を流したあとにしか、訪れないような気がする。
=
いつから、その涙を流すことを恥ずかしいと思い込んでいくのだろう。
それは、雨が降るかのごとく、自然なことなのに。
穀雨が訪れなければ、夏が立つこともないだろうに。
あの涙が流れたから、いまここに運ばれている。
流れるものは、流れるままに。
ただ、そのままに。
あたたかなままに、揺れていよう。
=
ただ、流れる涙。
慟哭のような涙もあれば、気付けば流れている涙もある。
握りこぶしに落ちる涙も、堪えきれずにあふれる涙もある。
あるいは。
ただ、その人の目を見つめているだけでも、流れていく涙もある。
そこに、理由など、ないのかもしれない。
雨が降るのに、理由も何もないように。
海や河があたためられ、それが水蒸気となり、雲となり…というような原因はあったとしても、そこに理由などないように。
涙が流れるのに、理由も何もないのかもしれない。
何かが悲しくて、あるいは悔しくて、あるいは嬉しくて、あるいは暖かな愛を感じて…というような原因はあったとしても、そこに理由などないのかもしれない。
ただ、雨は降る。
ただ、涙が流れる。
そして、季節は流れる。
そして、人生は流れていく。