大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー見習い。

怠惰とオーバーワークのはざまで。

時間がもっとあったらなぁ、といつも思う。

締め切りが延びたらなぁ、といつも思う。

もっと自分に技量があったらなぁ、といつも思う。

 

けれど、その願いが叶うことはないんだ、といつも諦める。

 

時間がたっぷりとあって、締め切りに追われることもなく、技量が完ぺきについてから、すべての準備が整ってから…そうしたすべてのタイミングが揃うのがベストだ。

けれど、そのタイミングで声をかけられるようなことなど、いままであったためしがない。

 

 

こんな時間がない中で、やっつけ仕事のように書いていたら、自分らしさも魅力も美しさも芸術性も何も、あったもんじゃない。全部、中途半端になりそうだ。

そんな、体のよい言い訳が頭をよぎる。

 

じゃあ、時間がたっぷりあったら、誰もを唸らせるような作品を書くことができるのか?多くの人に喜びを与える仕事ができるのか?

それはそうかもしれないが、その前に寿命が尽きてしまいそうな気もする。

 

「頼まれごとは試されごと」の通りで、いつも仕事は重なるし、依頼ごとは忙しいときにくるし、やりたいことはやらなければいけないことで塗りつぶされる。

犠牲や取引から、それをしていないか?

断ることが、クオリティを保つことではないのか?

それは、逃げや怠惰ではないのか?

 

オーバーワークと怠惰のはざまで、いつも私は揺れる。

 

 

一つの答えは、こうだ。

 

とりあえず、全部やる。

オーバーワークかどうかは、世界が教えてくれる。

自分で判断することを、放棄してみる。

 

分かりやすくミスが出たり、周りとの軋轢や衝突が起きたり、あるいは身体がついてこなかったり、あるいは、やりたくてもできない状況になってしまったり。

強制的にストップがかかるならば、それはオーバーワークだった、というだけの話だ。

それは、結果論かもしれないが、やる前からは分からないのかもしれない。

 

 

それに、たとえオーバーワークだったとしても。

ミスや悪いわけでもないし、

衝突が悪いわけでもないし、

体調を崩したりすることが悪いわけでもなければ、

やりたい状況が整わないことが悪いわけでもない。

 

それらはある意味で「コンパス」なのだから。

いまは、その方向ではない、と教えてくれるだけのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

そう考えると、やはり全部やる、が答えのような気もする。

オーバーワークも怠惰も、突き詰めて考えると、それを迷う時点では、同じ地平にいる。

 

その出来に不本意だろうと、不完全だろうと、間違いだらけだろうと。

結局のところ、後から振り返って残るのは、アウトプットしたものだけだ。

 

その不出来なまま、不完全なまま、発展途上のまま、間違いだらけのまま、傷だらけのまま、

走ろう。

 

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