また熱田の杜を、訪れた。
前回訪れたのは、先月の穀雨のころだったか。
駐車場に車を停めて降りると、緑の鮮やかさが目に飛び込んできた。
目に眩しいくらいの、新緑。
先月訪れたときは、そんな風には感じなかったのだが。
まるで、目に映るすべての葉が、入れ替わってしまったような錯覚に陥るかのようだ。
遠くで、境内に放し飼いになっている鶏が鳴く声が聞こえる。
吹く風が、心地よい。
立夏も次侯、蚯蚓出(みみずいずる)。
生命力が満ちあふれる、ほんとうに気持ちがいい季節になった。
南門すぐの別宮、上知我麻神社。
えびすさまと、だいこくさまにいのりを。
冬にここで咲いていた椿の木は、青々とした葉で覆われていた。
そんなふうに、四季折々の記憶が重なることもまた、楽しいものだ。
それは、何度も足を運ぶからこそ受ける、恩恵なのかもしれない。
定点観測。
ふと、そんな言葉が思い浮かぶ。
ともすると、すぐに誰かと比較してしまいがちだけれど。
ほんとうに必要なのは、きっと過去の自分との違いを見ることなのだろう。
一月前は、なにをしていたか。
一年前は、なにをしていたか。
変わったところは、どこだろう。
成長したところは、どこだろう。
気付けば、深い緑に色に変わっていた、この木々のように。
どこか、変わっている部分はあるものだ。
本宮も、また新緑に覆われているようで。
この熱田の杜の名のとおり、とてもこの季節がしっくりくるような気がした。
翼を広げたような、初夏の木漏れ日。
その陽射しが心地よく、しばし参道でぼんやりとしていた。
今日この日の陽射しも、またいつか思い出すのだろう。
これまでの記憶と、同じように。