大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ストレッチ日記 ~歳を重ねる恩恵とは。

さて、久しぶりのストレッチ日記である。

書き出しておいて何なのだが、ここのところバタバタしており、1週間ほどストレッチをサボっている。
ある程度、習慣づいたことをやらないのは、結構ストレスである。
歯磨きをしないで寝るようなもので、なんだかおさまりが悪い。

けれど、ストレッチをする時間と、寝る時間を天秤にかけて、寝る時間を確保する方をここのところは選んでいる。
寝ないとすぐに心身ともに不調になる私にとって、睡眠時間の確保というのは最重要命題だ。
ショートスリーパーがうらやましいが、それも自分の身体なのだから仕方がない。

とはいうものの、ここのところ殊更に寝不足が非常に堪えるようになった。
これも、年齢を重ねた影響だろうか。

分かってはいることだが、生きるということは、一日一日と老いていくことだ。
あまり考えないようにしたいものだが、今日の私は昨日の私よりも確実に老いている。

肉体的、あるいは体力的な衰えというのは、やはり年とともに出てくる。
睡眠不足のことばかりではないが、無理が効かなくなったし、いろんな場面でそれを感じることがある。

それは一見ネガティブに思えることだが、そうばかりとも言えないようにも思う。

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無理が効かなくなるということは、自分の身体の発する声なき声に、耳を傾けざるを得なくなる、ということだ。
それは、自分と向き合う、ということなのだろう。

自分の身体の調子はどうなのか。
なぜ、そう感じるのか。
そう感じる、自分のこころの調子は、どうだろうか。

歳を重ねることは、否が応でも自分と向き合うようにしてくれる。
それは、大きな大きな恩恵だ。

自らの身体、あるいは心と向き合うことで、人の内面は磨かれ、成長していく。
それは、その人の纏う雰囲気となり、空気感となり、言葉となり、表情となっていく。
それは、その人をその人らしくしていく。
その人をその人のあるがままに、戻していく。
それは結果的に、その人本来の美しさとして表現されていく。

自分と向き合ってきた人には、その人しか出せない「面構え」がある。
それは、一つのアイデンティティであり、この世界に生きる理由の一つでもある。

もし、仮に歳を重ねても、何ら肉体的な衰えがなかったとしたら、その恩恵は受け取れるだろうか。

なかなか、難しいのではないかと思う。

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そう考えていくと、人が成長していくことには、強さではなく弱さが一つの鍵になるというのは、面白いものだ。
弱くなるからこそ、人は痛みを知り、自分と向き合い、そして大きく成長していく。

それは、逆ではない。
人を成長させるのは、強さではなく、弱さだ。

私も当然そうだが、人は自分の弱さを嫌う。
何より、最も自分のたいせつな部分の弱さを嫌う。

そこを明け渡したら、自分が自分でなくなってしまうような。
ぜったいに、自分が弱いとは認められないような。
何人たりとも、立ち入れないような。
そんな繊細なこころの場所が、誰にでもあるのだろう。

仕事のこと。お金のこと。パートナーのこと。外見のこと。母親のこと。才能のこと…
その場所は、人にとってそれぞれなのだろう。

もしかしたら、その弱さにこそ、大きな恩恵が眠っているのかもしれない。

その弱さを、認めることができたなら。
その弱さを、正面から見つめることができたなら。
その弱さを、晒すことができたなら。
その弱さを、誰かに与えることができたなら。

きっと、あとは早いよ。

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ということで、せっかく自分でこう書いておいたので、今日は少しでもストレッチをしてから寝ることにしようと思う。

ほんの10分でも、15分でも。
それは、自分の身体と、自分と向き合う時間をつくる、ということだから。
自分の身体と対話し、その弱さと向き合ってみよう。