大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー見習い。

夏よりも夏を想う、水無月の真夏日。

梅雨らしいぐずついた空よりも、湿気を含んだ天気が続く。

 

それにしても、ずいぶんと気温が高くなってきた。

今日の名古屋は最高気温32℃、真夏日だったそうだ。

 

考えてみれば、夏至を前にしたこの時期が、一番太陽の力が強まっているとも言えるのかもしれない。昼間の長さにしても、そうだ。

 

夏のピークを感じるのは、もう秋が直前に迫っているお盆の前後だろうか。

だからだろうか。

いつも夏は気づいたら去っていってしまい、後に残るのはただセンチメンタルな情感のみ、ということになる。

 

気付かないうちに、去っていく季節の盛り。

そのことは、とても示唆に満ちている。

 

 

わたしは、何がほしかったのだろう。

 

いろんなことが過ぎ去った後に、その情感を抱くことがある。

お盆明けのツクツクボウシの声を聴いた寂寥感よろしく、気付いたら掌中からこぼれ落ちている何かが、ある。

それは終わったこと、過ぎ去ったこと、失われたことを嘆くのとは、また違ったものだ。

 

失ったことを悔いたり嘆いたりすることは、分かりやすい。

それよりも、夏のピークがすでに終わっていたことに気づかなかったことに、人は強い後悔を抱くようにも思う。

 

夏のピーク、あるいは、盛り。

それは、愛と言い換えてもいいのかもしれない。

 

いつの間にか、ツクツクボウシの声を聴いて愕然とするように。

また訪れる晩夏に、その情感を抱くのだろうと想像してしまうように。

 

もしかしたら、あの時あの場所で、あの人が言ったことは。

愛からだったのではないだろうか。

 

どうして、それに気づかなかったのだろう。

 

もしかしたら、この先どこかで、誰かから。

愛を差し向けられても、気付かないのではないか。

 

夏の終わりの寂寥感は、そんな後悔にも似ている。

 

 

だからといって、どうこうすることもないのだろう。

ただ、その寂寥感なり、後悔を、そのままに。

 

夏が好きだからこそ、その寂寥感があり。

また愛があるからこそ、後悔もしよう。

 

同じ場所から流れ出るものだとしたら、ただそのままでいるのが、いいのだろう。

 

寂しさを、そのままに。

その愛を、流れ出るままに。

 

季節がめぐる、そのままのように。

ただ、そのままに。

 

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