感染症の拡大と、それにともなう新しい生活様式。
マスクや移動や会食の制限など、面倒なことは多々ある。
けれど、体温を測る機会が増えたことは、いろいろと考えさせられる。
自主的な検温もしかり、施設に入る時のカメラによる自動検温しかり、手首を出しての検温しかり、いろんな場面で自分の体温を知る機会が増えた。
36.5度前後の、その温度。
いつも変わらず、身体はその温度を示してくれる。
病で熱が出て38度、39度になることはあるかもしれないが、一度として、32度や34度になることはない。
いつもいつも、36.5度前後の範囲の体温。
その正確さには、健気さすら感じてしまう。
体温とは、熱である。
この世に生を受けたときからずっと。
36.5度の熱を、放ち続けている。
それは、とてもとても尊いことのように思う。
いつから、人はその熱を放つようになるのか。
母親の胎内で、生命として誕生したときからだろうか。
世界と自己が一つになったような、温かな羊水の中で。
体温を、熱を持つようになる。
それは、連綿と受け継がれてきた、生命のバトンのようにも見える。
いま、ここにいるということは、一度たりとも、その熱が消え去ったことがない。
体温を測る度に、その奇跡に驚き、身体の中で燃え盛る熱を、想うのだ。