大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

脱稿した朝に。

ここのところ、心騒がせていた原稿を、ようやく今朝納品した。

 

脱稿の解放感と、虚脱感と。何度味わっても、慣れないと思う。

満足感と同じくらいに、もう少し書けたのではないかという思いが去来する。

 

自己肯定感が高ければ、いまの自分をまるっと認めることができるのだろうが、「いまの」私にはなかなか難しいようだ。

どれだけやっても、蟻地獄のように。まだまだ、足りない。もっと。もっと、と。

 

自分のこころの内に空いた穴を埋めるためにしている「何か」は、どれだけやっても埋まることはない。

ハードワーク、アルコール、恋愛やセックス、ギャンブル、借金…刺激物に依存してしまう心理は、その割れた穴に目を向けず、ぽっかりと虚しく空いた空間を満たそうとするからだ、と。割れたグラスにどれだけ上等なジュースを注いでも、最後にはこぼれてしまうように、まずはその空いた穴をふさぐのが先決だ、と。

 

そして、その穴をふさぐことができるのは、自分しかいない。

その穴から染み出る痛みと向き合い、自分を癒し、満たしていく。

 

実際に、私がアルコールを断ったのも、その穴が少しだけふさがったからなのだろうとは思う。

 

ずっと、こんなふうに書いていくのだろうか。

 

時に、物書きはコンプレックスが満たされてはいけないという。

同時に、コンプレックスを武器にした創作や活動は、いつか終わりがくると聞く。

 

いつか、大きく心の傷が癒されて、求めていたこころの平穏が手に入ったとして。

そのとき、書いているのだろうか。どんな言葉を、紡いでいるのだろうか。

 

そのとき、まだまだ、足りない、もっと上手く描きたい、表現したいと思うのだろうか。

 

よく、分からない。

書き続けることでしか、分からないとも思う。

 

 

そんなことを考えながら朝の道を歩いていると、一筋の黒色がアスファルトに落ちていた。

 

見れば、黒い翅のトンボだった。

あまり見かけない、その翅の色。

 

役目を終えたその身体は、アスファルトの染みと言われれば、そう見えてしまうくらいに、か細く見えた。

 

近所の公園で、一人虫取り網を振るっていた幼いころを思い出す。

真夏の日差しの下、飽きもせず、昆虫たちに遊んでもらった。

 

トンボは飛行速度が速く、なかなかに捕まえるのが難しかった記憶がある。

よく飛んでいたのは、白と黒の模様が特徴的なシオカラトンボか、お盆過ぎによく見た、真っ赤なアキアカネだったか。

オニヤンマ、ギンヤンマなどの大型のトンボに憧れたが、ついぞ近所の公園では見かけることはなかった。

 

捕まえたトンボの特徴的な眼。いくつもの眼が集まってできた複眼と呼ばれるそれは、ほぼ360度に近い広範囲を視認することが可能だと聞いて、子ども心を躍らせたものだった。

その眼は、虹色に輝いて、宝石のように美しかった。

 

不意に風が吹いて、その黒いトンボの翅がひらひらと揺れた。

黒く見えていたそれは、あのころ見た複眼のように、虹色に光っていた。

 

このままだと、今日の真夏のような陽射しに照らされて、からからに干からびてしまうだろう。

それが不憫に思えて、その翅をつまんだ。

風に揺られた翅は、ひらひらと生きているように動いた。

 

逡巡して、そのトンボが土に還れそうな場所を探した。

 

風通りがよさそうな場所の、大きな木。

あたりには、この季節らしく草が背を伸ばしていて、陰になっていた。

 

トンボを、その根元にそっと置いた。

ひらひらと、翅が虹色に輝いていた。

 

少し、手を合わせてみた。

 

あのまま、アスファルトの上にいたとしても。蟻か何かが、その身体を土へ還していたのかもしれない。こうして木の根元に移しても、それは同じかもしれない。

 

けれど、そうしたかったのだ。

 

そう、書きたかったのだ。

 

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